事件発生直後にテレビ朝日から寄せられた情報は、捜査の方向性を左右する重要なものだった。

長官が撃たれた直後に、この110番通報を受けた警視庁通信指令本部は蜂の巣をつついたような状態だったに違いない。

通報を受けた警視庁の通信指令官は、「不審な電話」の内容について詳しく尋ねた。

「午前9時40分ころ、こちらテレビ朝日の代表電話にかかってきたのですが、男が『あの、オウムに対する捜査をやめろ。そうしないと国松タカツグ、それに続いて、井上、大森がケガしますからね』と言ったんです。

長官が撃たれたってニュースでやっていて、その事件の直後にこの電話があったのでお電話した次第です」

国松孝次(たかじ)警察庁長官(当時)
国松孝次(たかじ)警察庁長官(当時)

電話があったのは長官銃撃事件発生の1時間10分後だ。

テレビ朝日の担当者の女性は興奮気味に通報してきたという。

これが値千金の情報だったのは、テレビ朝日がこの不審な電話を最初から録音していたからだった。そしてその音声は警視庁にすぐに提供された。

電話の男が言っている「井上」とは井上幸彦警視総監(当時)であり、「大森」とは大森義夫内閣情報調査室長(当時)のことである。
それは紛れもない脅迫電話であり、犯行声明ともとれるものだった。

さらにテレビ朝日と同様に、日本テレビや中日新聞東京本社も、不審な電話を受けたと警視庁に通報してきた。

日本テレビに電話した男は金切り声で「国松さんを撃ったのはオウム真理教の者。次は井上さん、大森さんの順だから必ず伝えるように」と言って一方的に切り、中日新聞に電話した男は、「1回しか言わないからよく聞きなさい。オウムに対する強制捜査をすぐやめなければ井上…」と言っている最中に交換手が社会部に電話をまわそうとすると、電話を切ったという。

日本テレビと中日新聞への電話は、音声が録音されていなかった。

そこで、この2社の担当者にもテレビ朝日の録音音声を聞いて貰ったところ「別の男の声である」と証言した。

これにより複数人が同時に同様な電話をメディア各社にかけていたことがわかった。

テロ組織が「テロを実行した」と犯行声明を出すことによって、その組織の名が初めて社会に轟き、名が轟くことによってテロ組織の名そのものに影響力が備わる。

中東のテロ組織しかり、日本の極左暴力集団もこれまたしかりだ。

こうした複数の人物による複数のメディアへの同時多発的な電話は、明らかに複数によるグループ、あるいは組織による犯行であることを表しており、テロ組織の常套手段を模倣したのだろう。

犯行声明を出すことで得られる効果を狙ったものとみられた。

【秘録】警察庁長官銃撃事件9に続く

【編集部注】
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。

上法玄
上法玄

フジテレビ解説委員。
ワシントン特派員、警視庁キャップを歴任。警視庁、警察庁など警察を通算14年担当。その他、宮内庁、厚生労働省、政治部デスク、防衛省を担当し、皇室、新型インフルエンザ感染拡大や医療問題、東日本大震災、安全保障問題を取材。 2011年から2015年までワシントン特派員。米大統領選、議会、国務省、国防総省を取材。