昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!
“伝家の宝刀”フォークボールを武器に三振の山を築き、横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)のマウンドを15年間守り抜いた遠藤一彦氏。最多勝2回、最多奪三振3回、沢村賞1回。アキレス腱断裂の大ケガを乗り越えカムバック賞も受賞した“元祖ハマのエース” に徳光和夫が切り込んだ。
【中編からの続き】
「頭を指さす」クロマティ氏に挑発返し

巨人で活躍したクロマティ氏はしばしば、打ち勝った相手投手に対して、「ココが違うぞ」とばかりに自分の頭を指さす挑発パフォーマンスを見せていたが、逆に遠藤氏がやり返したこともあった。
遠藤:
私だけですよね、あれをやったのは。
バッテリーミーティングで、「そういうチャンスがあったら誰かやろうぜ」とは言ってたんです。だけど、普通に凡打だと、そのままオーバーランしてベンチに帰っちゃうじゃないですか。
あのときは見逃し三振だったんですよ。「アウト!」って言われてから、「うーん、やられた」っていうような感じの表情で私を見てたんです。

遠藤:
三振を取ってチェンジでしたから、歩きながら「違うよ」って頭を指さしてやったんですけどね。タイミングはそれだけしかなかったです。
徳光:
あれは抜群だった。チャンスがあったらと準備してたわけですね。
遠藤:
もう、ほんとに「どこかで…」と思ってましたから。あれは本当にいいタイミングでした。
徳光:
クロマティさんが、遠藤さんのことを「メジャーでも十分通用する」って言ってたのを覚えてますか。
遠藤:
そう言ってたらしいですよね。うれしいんですけど、直接聞いたことはないです。
徳光:
あの当時の遠藤さんのフォークボールだったら、今の大谷選手も打ち取れるんじゃないかなと思うんですが。
遠藤:
いやぁ、無理ですね。もう彼は“日本人”じゃないでしょう。スイングの速さも図抜けてますし。
徳光:
でも、やっぱり僕は遠藤さんのフォークボールだったら通用するんじゃないかなって…。
遠藤:
3球連続フォークは通用しないと思いますから、ストレートなりを放りながら追い込んでフォークっていうパターンに持っていかなきゃいけない。多分、そこまでに終わってますよね。
関根潤三監督…パイポ片手に「代われ」

1982年から1984年まで大洋の指揮を執ったのは関根潤三氏。
徳光:
関根さんはどうでしたか。
遠藤:
関根さんは堀本さんと同じぐらいの恩師ですね。負けても負けても投げさせてもらえましたから。
徳光:
関根さんって、投手交代のときに、パイポ(タバコ型禁煙グッズ)を持ってましたよね。
遠藤:
指先でパイポをいじって遊びながら、マウンドまでトコトコ、トコトコやって来るんですよ。
徳光:
ニコニコしながら声をかけるじゃないですか。あれはどういうことをおっしゃってたんですか。
遠藤:
まだ大丈夫かなっていうときには「どうする?」って来るんですね。
もうダメだなと思うときは「代われ」って来ますね。「まだ大丈夫ですよ」って言ったら、「そっか、じゃ、帰るわ」って言って帰っていきます。
アキレス腱断裂も三塁までケンケン
1987年10月3日の後楽園球場での巨人戦、5回表の攻撃中に遠藤氏はアキレス腱断裂の大ケガを負った。
徳光:
あれはどういう状況だったんですかね。
遠藤:
あれはですね、私が先頭バッターで、何でもないセカンドゴロを打ったんですよ。
徳光:
セカンドは篠塚さん。
遠藤:
そしたらジャッグルしたんです。それで出塁して、次の高木豊がレフト線へ打ったんです。「サードまで行けるかな」っていう感じで走ってたんです。

徳光:
それが途中からケンケンになりましたよね。
遠藤:
そうです。でも、ケンケンで行っても、倒れ込んで「セーフ」って言ってもらいましたから。
徳光:
あのケンケンは三段飛びみたいでしたね。
遠藤:
そうですね。(塁間を)7歩か8歩で行ってたみたい。
徳光:
守備の名手、篠塚さんのエラーって珍しいですよね。

遠藤:
ほんとに珍しいです。それも人口芝ですからね。彼がエラーしていなければ、ケガしていないかもしれない。“たられば”なんですけどね。
徳光:
あのケガは遠藤さんの野球人生の中でも、大変印象に残ってるものじゃないかと思うんですが。
遠藤:
そうですね、野球やってる中で一番大きなケガでしたから。
ただ、もともと“勤続疲労”的にアキレス腱痛が出てたんです。それで痛み止めの注射を打ってたんですよ。2年ぐらい前からですね。
選手生命を縮めた? 開幕投手へのこだわり
徳光:
次の年の開幕投手、これはちょっと焦ったんじゃないですか。
遠藤:
アキレス腱断裂の場合は「6カ月後には復帰できる」って聞いたんですよね。10月頭のケガでしたから、4月の開幕までちょうど6カ月なんですよ。
徳光:
なるほど。
遠藤:
ですから、何とかそこに間に合うように頑張ろうっていう気持ちでした。
開幕投手の回数では平松さんのほうが多いんですけど、連続ってことにすごくこだわってたんです。来年の4月に間に合わそうという思いが強かったですね。

遠藤氏は1987年まで5年連続で開幕投手を務めていた。この数字は平松政次氏の4年連続を超えて当時のホエールズでは最長記録だった。
遠藤:
1年を棒に振ってでも、しっかりリハビリしていれば、もうちょっと野球人生が延びたかなっていう後悔はありますよ。
徳光:
それだけ開幕投手に対しての思いが…。
遠藤:
そうですね。結局、開幕投手にはなれなかったんですけど、6年連続、7年連続の開幕投手にこだわってたもんですからね。やっぱり、あれは譲れなかったですね。
徳光:
それほどまでに違うものですか。
遠藤:
初めて経験したときにそれを味わいました。開幕ゲームは、ほかのチームもエースが来るわけじゃないですか。
徳光:
そうですよね。

遠藤:
開幕投手の中で勝ってこそエースと言われるゆえんと思っていましたから。
リリーフ転向でカムバック賞
ケガをした翌年の88年、遠藤氏は5勝12敗で連続2桁勝利が6年で途切れる。89年も2勝8敗と大きく負け越した。
遠藤:
私は2年間、たいした数字を残してなかったですから、自由契約、クビっていう覚悟でいたんですね。

遠藤:
その年に須藤(豊)さんが監督になるんですけど、「ブルペン、50球ぐらいでいいからな。50球、毎日放る練習をしとけ。後ろへ回ってもらうから」って。
「なんとか仕事はもらえるんだな」って思いました。僕は昔は、抑えっていうのはあんまり評価してなかったんです。あそこは長いイニングを放れないピッチャーのポジションだって思ってましたから。
徳光:
では、ご自身がそうなっていかがでしたか。
遠藤:
これは一つの仕事場だとして受け止めました。
徳光:
投手として抑えは2番手、3番手、そういう価値で受け止めてたんですね。
遠藤:
そうですね。私の中ではそれは変わらなかったです。
遠藤氏は1990年に大洋のクローザーとして活躍。6勝6敗21セーブ、防御率2.17の成績でカムバック賞を受賞した。
現役引退を決断した恩師からのひと言
1992年に先発に復帰した遠藤氏は、3勝2敗の成績でシーズンを終え、この年を最後に現役を引退した。翌年からチーム名が横浜ベイスターズに変わることが決まっており、横浜大洋ホエールズとしての最後の年でもあった。
遠藤:
先発として3勝できたもんですから、「もう1年できるかな」と思ってたんですけど、最後の横浜での阪神戦で、フロントのスタッフに呼ばれて、「来年の契約はしないから」って言われたんです。
本当は阪神戦の2戦目に投げる予定だったんですよ。でも、そんな気持ちで行ってもね…。
徳光:
そうでしょうね。
遠藤:
ですから、ブルペンに飛んでいって、小谷(正勝)コーチに、「実はこういう宣告をされたんですけど」って伝えたら、「関根さんに相談してみたらどうだ」って言ってくれたんですよ。
徳光:
まだやれるという気持ちがありながら、関根さんのところに行くわけですね。

遠藤:
「実はこうで、こうで」と説明すると、「そっか。じゃあ辞めろ」と。これだけ言われた。投手交代のときの「代われ」と一緒ですよね。「『横浜大洋の遠藤』でいいじゃないか、もう辞めろ」というひと言をもらって、「分かりました。じゃあ辞めます」ってなりました。
徳光:
そうか。「(横浜ベイスターズの遠藤ではなく)横浜大洋ホエールズの遠藤でいいじゃないか」と。それもいい言葉ですね。決断の気持ちになりますよね。
遠藤:
そうですね、はい。
引退試合で引き継がれた“エースの系譜”
遠藤氏の引退試合は1992年10月7日に横浜スタジアムで行われた巨人戦だった。横浜大洋ホエールズとしての最後の公式戦で遠藤氏は先発のマウンドに上がり、2イニングを無失点に抑えた。

この試合で3番手ピッチャーとして登板したのは、後に横浜ベイスターズのエースとなる三浦大輔氏。高卒ルーキー1年目で初めてのマウンドだった。
徳光:
引退試合では、よく打たれていた原さんを…。
遠藤:
センターフライですね。ちょっとヒヤッとしたんですけど。
徳光:
(笑)そうですね。
遠藤:
三振しろよと思いましたけどね(笑)。
徳光:
すてきな引退試合でしたよね。この試合で7回から高卒1年目のルーキー、三浦大輔投手が初登板、リーゼントじゃないですよね(笑)。
遠藤:
普通に坊主頭でしたね。
徳光:
これも運命的ですよね。三浦さんとは何か会話された記憶はありますか。
遠藤:
ほとんどないです。行くときに「頑張れ」、帰ってきて「ナイスピッチング」。
徳光:
それに対して三浦さんは。
遠藤:
いや、別に何もないですね。「ありがとうございます」みたいな感じです。
もう、大ベテランとルーキーですから、向こうからすると、私と平松さんみたいな…。
徳光:
それがホエールズとしての最後の試合。
遠藤:
最後の試合ですね。そういう面では、一つのいい時代を過ごせたなとは思いますね。プロ野球人生としては、自分なりに満足した15年を送れたなと思ってます。
徳光:
プロ野球人としての最高の1ページだったということですね。
遠藤:
はい。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/8/27より)
「プロ野球レジェン堂」
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