昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”を、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!
巧みなバットコントロールで打球を広角に打ち分け2度の首位打者に輝いた巨人の篠塚和典氏。19年の現役生活で放った安打は1696本。芸術的なバッティングと華麗な守備でファンを魅了した“打撃の職人”に德光和夫が切り込んだ。
【前編からの続き】
ミスターの指導“ボールが頭に”

篠塚氏が入団した昭和51年、巨人の二軍監督は関根潤三氏。近鉄バファローズのエースとして活躍したのち打者に転向してバッターとしても活躍、投打の両方で実績を残した。篠塚氏と同じ左の巧打者だったが…。
篠塚:
関根さんは僕には全く教えてくれなかった。「何も言うな」って他のコーチにも言ってたみたいです。僕、ほんとに何か言われたことがないです。
徳光:
じゃあ、シノさんはあまりコーチに教わらなかったんだ。それが良かったんですかね。
篠塚:
逆にそうかもしれないですね。
徳光:
ミスターからはどうだったんですか。
篠塚:
ミスターから最初に言われたのは癖。打つときに少し右腰が上がってしまう癖があったんで、それを押さえつける打ち方をしつこく言われましたね。
若手って後楽園で最初に特打をするんですよ。僕がバッティング練習してたら、長嶋さんがいきなりセンターのほうからやって来て、バッティングピッチャーをやってくれたんです。こっちはどういうボールを投げるか分かんないじゃないですか。それで1球目のど真ん中を見逃したんですよ。そしたら次、何にも言わず、僕の頭を目がけて投げてきました。

徳光:
何で打たないんだってことで。
篠塚:
そう。僕が打ってるときに、長嶋さんが何か気付くとバーッと飛んできて、「こうなんだよ、こうなんだよ、ここをこうするんだよ」って言って。そういう手取り足取りは本当にすごかったですよ。
いきなり呼ばれた一軍で

篠塚氏はプロ2年目の昭和52年に初めて一軍に昇格。初出場は8月5日の大洋戦だった。
篠塚:
僕は北海道に遠征してて、土井(正三)さんがケガしたんですよ。で、急きょ一軍が試合する川崎球場に呼ばれた。でも、初めてじゃないですか。どこに荷物置いていいか、どういうふうにしていいか全く分からないわけですよ。
徳光:
なるほど。
篠塚:
最初に声をかけてくれたのが張本(勲)さんだったんです。あいさつして、「今日からよろしくお願いします」。「頑張れよ」って。
そのあと、ミスターに呼ばれて、「今日、先発行くよ」って言われて、また緊張。まさか先発だとは思わないじゃないですか。
徳光:
そうですよね。
篠塚:
向こうのピッチャーが新人の斉藤明夫さん。1本センター前に打って、それが初ヒットです。
王氏への送球「思いっきり投げてこい」
徳光:
ゴロを捕って一塁の王さんのところへ送球するときはどんな感じでしたか。

篠塚:
二軍時代にも練習で一軍の手伝いに行ったことがあったんですよ。そのとき王さんに投げるのに、やっぱり「いい球を投げなきゃいけない」とびびっちゃうわけですよ。最初に王さんが言ってくれたのは、「たたきつけろ。もっと手を振れ」。びびると、手を振れないじゃないですか。
徳光:
そういうものなんだ。
篠塚:
「ボールが上に行ったらノーだけど、下はある程度それても俺は捕れる」って。王さんもすごい気を遣ってくれたと思うんですよね。「とにかく自分の足元かベース板に向けて、思いっきり手を振ってこい」って言われてから、どんなときでも、腕を振れるようになったんですよ。
長嶋監督と戦った“地獄の伊東キャンプ”
徳光:
長嶋さんに「3年間は下でやれ」って言われたことで、その年数は意識したでしょう。
篠塚:
そうですね。だから、「4年目くらいからは」っていう思いでいて、それまでに体力をつけて、強い体を作ってきたつもりだったんですけど、いきなり伊東キャンプが…。これがやっぱりすごく大きかったですね。
徳光:
それは4年目の終わりですか。
篠塚:
終わりです。秋です。
徳光:
あれは、突然決まったんですかね。
篠塚:
いつごろだろうな、結構近くなってからですよね。「何かやるらしいぞ」って。でも、キャンプっていうのは頭になかったです。当時は秋のキャンプってなかったじゃないですか。今までなかったわけですから。
徳光:
普通はなかったですからね。僕も見に行きましたけど、あれはすごかったですね。
昭和54年の秋、巨人は若手選手を集めて静岡県伊東市で約1カ月間のキャンプを行った。その練習内容があまりにハードだったため、のちに“地獄の伊東キャンプ”と呼ばれるようになった。篠塚氏のほかに江川卓氏、西本聖氏、鹿取義隆氏、角三男氏、山倉和博氏、中畑清氏、松本匡史氏など、後のジャイアンツの中心選手となるメンバーが参加した。

徳光:
こんなに練習したことはなかったっていうほどの練習でしょう。
篠塚:
でしたね。丸1日ですからね。朝9時半くらいからアップして、アップが終わったら打つか守るか。特守をするか、ずっとバット振ってるか。それを午前と午後で入れ替えて。
徳光:
ミスターもくまなく動いて、自分でノックもしてたじゃないですか。
篠塚:
してました。やっぱり内野手には結構ね…、けんかノックじゃないですけど。疲れてきたところに、とんでもないところ打たれると、カーッとするのよ。
特守ってだんだん前に行くんですよ、近くに行けば守備範囲が狭くなるから。前に前に行って近くなってきてから、ボールをノッカー目がけて投げるの。そうするとノッカーがのるんですよ。
徳光:
長嶋さん目がけてボールを投げつける。それに、長嶋さんに罵声も浴びせてましたよね。

篠塚:
もうため口みたいなもんで、「どこ打ってんだ、この野郎」とか、平気で言ってましたよ。「捕れるとこ打て」とか、「代わりに受けてみろ」とか。
徳光:
ミスターも、そういうふうに言われたほうが、むしろのってくる感じでしたよね。
篠塚:
言った言葉は悪いんですけど、結局それに対しての反応を見てる。親近感というか、向こうがのってくれると、こっちものってく。
徳光:
夜は皆さん、どんな感じだったんですか。
篠塚:
ミーティングがありましたからね。シーズンの反省みたいなものです。ただ、やっぱりみんな聞けないですよ。疲れ切っちゃって、大体寝てますよ。
徳光:
そうでしょうね。それほどまでにすごかったんですよね。
中畑氏にたきつけられ長嶋監督を挑発
この伊東キャンプの最後、篠塚氏は長嶋監督に暴言をはいたという。その真相を聞いてみると…。
篠塚:
最後の暴言ですか。それだけきつかったんですよ。きつい中で、監督とコーチはみんな腕組みしてベラベラしゃべってる。中畑さんなんかとそういう話をしてたんですよ。
ランニングの最後の1周の手前で、中畑さんがいきなり、「おいシノ、あそこで腕組んでる連中、全部走らそうか」とか言うから、「いや、全部は走らないでしょう」と。そしたら、「じゃあ、お前、監督に言え」って。だから走りながら何て言おうかなと考えたんです。「監督、走ってください」じゃつまんないじゃないですか。
徳光:
それはシノさんが言わなきゃいけなかったんですか。
篠塚:
そうなんですよ。「シノ、お前言え」って言われたんで。

篠塚:
長嶋さんがちょうど腕組んでたから、「監督、腕組みなんかしてねえで、一緒に走れよ。走ってみろよ!」って言ったんですよ。そしたら中畑さんは、「お前、よくそんなこと言えるな」だって。自分でけしかけておいてね(笑)。そうしたら、後ろから「なにー!」って。
徳光:
長嶋さんが。
篠塚:
そう、長嶋さんが走ってきたんです。1周走りましたよ。周回ですから、我々みんなは監督を追い抜いちゃって、最後の坂道の下で待ってたんです。でも、なかなか来ないんですよ。そしたら、何ていうのかな、“お尻が割れる”とかって言いますよね、そういう感じの走り方でやってきた。みんな拍手で迎えて、それで最後になんか長嶋さんとの距離がものすごく近くなったんです。
徳光:
なるほど。
シノさんたちは気が付いてなかったかもしれませんけど、選手が引き上げた後、最後に長嶋さんがマウンドにトンボをかけてたんですよ。夕日が落ちかけてる伊東球場。これは絵になったし、あの光景を見てると胸に迫る思いがありましたね。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/7/9より)
【後編に続く】
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