2024年9月、鹿児島・鹿屋市にあるとんかつ専門店「竹亭」の名物店主がこの世を去った。ひげがトレードマークの店主は地元で広く知られた存在で、こだわりの味で地域を盛り上げた。
とんかつを広めた名物店主
立派な口ひげをたくわえためがねの男性。鹿屋の市街地で、顔写真を見せながら「この方ご存じですか?」と聞いてみた。

鹿屋市民は「とんかつ竹亭の店主さん!(店に)行くと「いらっしゃい!」と元気よく迎えてくれた」「鹿屋のとんかつを広めた方」「竹亭のオーナーですよね、みんな胃袋が満たされたと思います」と、男性の広い知名度がうかがえる。

久保功さん。2024年9月6日、間質性肺炎のため81歳で死去した。久保さんは1970年、鹿屋市にとんかつ専門店「竹亭」を開業。当時とんかつ専門店は珍しい存在だったという。
鹿児島テレビでは1994年9月、ニュースで久保さんを取材した。

当時、店名の由来について久保さんは「小さい頃から竹に興味を持っていて、和風の料理に竹が合うのではないか。竹はすくすく伸びて節目節目があり、人生の一つの生きがいになるんじゃないか、そう感じ『竹亭』という名前をつけた」と話してくれた。
創業以来変わらぬ味で連日行列
久保さんは店をオープンさせるにあたり、東京のとんかつ専門店に頭を下げ修業を始めた。洗い場からスタートして学んだとんかつ作り。そんな竹亭のとんかつは、温度の違う2種類の油で揚げるのがポイントだ。

付け合わせのキャベツは、まるでかき氷のように山盛り!野菜の価格が高騰しても、量を変えることはなかった。
甘めの風味のとんかつソースも創業以来変わらないものの一つで、キャベツとの相性も抜群だ。

定番のロースカツだけでなく、しっとりとやわらかいヒレカツ。ジューシーな肉にタマネギの甘みが加わったメンチカツなど、とんかつ専門店ならではのメニューが並ぶ。
そんなお店は連日のように行列ができ、現在は鹿児島市と霧島市にも店を構える鹿児島の名店となった。
とんかつで産業と経済の発展に貢献
一方で、人を楽しませることが好きだった久保さん。1999年に緊急経済対策のため国が「地域振興券」(15歳以下の子供のいる家庭などに1人2万円ずつ配布)を配布した時には「65歳以上は2万円で一生とんかつ食べ放題」という企画を実施。25年たった今も高齢になったお客さんが家族に連れてきてもらい、とんかつを食べに来るそうだ。

そんな久保さんは鹿屋市の産業と経済の発展に貢献したとして、2019年に市民表彰を受けた。
現在、鹿屋市の本店は改装工事中で、近くの商業施設、リナシティかのやの仮店舗で営業している。久保さんが残した老舗の味は、この日も多くのお客さんを笑顔にしていた。

お店に来た人からは「とにかくとんかつがおいしいし、キャベツが大盛りで、でもペロッといけちゃう!」との声が。出張で東京から来たという女性も「すごくおいしかった。(衣が)サクサク、中はやわらかい」と満足そうだった。中には月に3回は来るという男性もいて、亡くなった久保さんに「ご苦労様です。五十何年(店を)されてね」と思いを寄せた。

跡を継ぐ息子の竹弘さんは、「父が残した地元に愛される店を変わらずに守っていきたい」と話している。
30年前の取材で、久保さんは自慢のとんかつについてこんな風に語っていた。

久保功さん(1994年):
とんかつを作る過程で、衣が肉のうまみをいかにして逃がさないようにするか、それを研究しまして、そして衣の中には愛情がいっぱい入っているのがうちの特長です。
「畜産県鹿児島を盛り上げたい」との思いでとんかつ店を開業した久保さん。鹿児島のとんかつ店の先駆けとして多くの人の心と胃袋をつかみ、地域を盛り上げ続けた。その思いとこだわりの味は、これからも受け継がれていく。ひげのマスター久保さん、ありがとう。そして、さようなら。
(鹿児島テレビ)