那覇市出身の総合格闘家”平良達郎”選手。
世界最高峰の総合格闘技団体・アメリカUFCで日本人最多となる6連勝を飾り、これまで日本人が成し遂げていない、UFCのチャンピオンを目指している。

ファンからは「格闘技界の大谷翔平」「沖縄の誇り」と称えられる平良選手は意外なことに、中学生までは野球部で格闘技経験はない。

平良選手を世界が注目する逸材に育てあげたのがうるま市津堅島出身の松根良さん。
「若い選手たちに夢を持って生きてほしい」”沖縄の格闘技界を変えた男”の情熱に迫る。

チャンピオンになって夢は叶えた 格闘技を広めたい

那覇市と沖縄市にある格闘技ジム「THE BLACKBELT JAPAN OKINAWA」で代表を務めるのは松根良太さん。

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うるま市津堅島出身で、学生時代を過ごした千葉県で総合格闘技と出会った。18歳でプロデビュー、2003年には国内団体・修斗でチャンピオンに輝いた。

松根良太さん:
チャンピオンになって夢は叶えた。指導する事が凄く楽しくて、指導する事に魅了された。沖縄には当時、総合格闘技・MMAの土壌が無かったので、格闘技を広められるかなと思った

2012年に独立し、地元沖縄でジムを開設。

当時、競技者も少なく、総合格闘技が根付いていなかった沖縄でまず取り組んだのは、アマチュア選手の育成だった。

松根良太さん:
アマチュアで経験して勝ち方を学んでプロに行くというのが一般的な道のり。
格闘技は打撃・投げ技・寝技。そのうえで心技体(が必要)。

自身が学んだ多様な技術と格闘家としての精神を丁寧に落とし込み、ジムの誕生から4年後には初めて全日本アマチュア選手権の王者が誕生!

その後九州・全国王者が沖縄から次々と誕生し、アマチュア格闘技界の勢力図を塗り替えた。

松根良太さん:
沖縄の選手は強いんだと協会が認めてくれて、沖縄の選手権を作ろうとなった

「沖縄の人は強い」松根良太の功績

当時アマチュア選手権は九州・沖縄ブロックで一つの地区大会でしたが、県勢選手の躍進を受けて2018年から”沖縄大会”が実現。

沖縄大会の覇者が九州大会を経由せず全国大会に進むなど、大会の枠組みを変えるほど大きなインパクトを残した。

当時の県勢の活躍について元三階級チャンピオンの砂辺光久選手は「甲子園ではないが沖縄の人は強い。沖縄水産や沖縄尚学のような感覚が全国のアマチュア格闘技界に知れ渡ったのは、松根良太の功績だと思う」と話す。

地元沖縄で蒔いた小さな種が月日をかけて。今、世界で花を咲かせている。

平良達郎選手「僕の格闘技人生を作ってくれた師匠」

世界最高峰のUFCで活躍する平良達郎選手もさかのぼる事7年前、アマチュア選手権で全国優勝を成し遂げている。

平良達郎選手:
松根さんから、自分の技術は誰にでも通用する技術。最新ではないけれど誰にでも通用する技術だからと教わっている。それを信じてやってきたら試合でも使えてここまで来た。

平良達郎選手:
僕の格闘技人生を作ってくれた人ですし、この競技の楽しさを教えてくれた人。師匠ですね

沖縄から世界へ羽ばたく選手が誕生し、格闘技を広めるために作ったジムは、今では所属ジムや地域の垣根を超えて全国から選手が集まる場所になった。

那覇市出身 宮城友一選手(プロ20年以上のキャリア)
自分のところだけでは練習に限界がある。ここに来れば強い人がいっぱい居て松根さんが居る。
沖縄でこれだけのことができるというのは少し前だと考えられない。最高ですね

元修斗世界フライ級王者/現DEEPフライ級王者 福田龍彌選手:
沖縄の選手は技術がしっかりしている。松根さんも(平良)達郎も本気でやって第1線で戦っている人。そのリアルをここで感じる事ができる。羨ましいと思う

新たな希望も芽吹き始める

松根良太さん:
平良達郎を見て(格闘技を始める人も)増えている。10年後には彼らがこども達に夢を与える存在になると思う。格闘技を沖縄に根付かせていきたい

キッズクラスの生徒:
(平良)達郎先生みたいにUFCのチャンピオンになりたい

Q将来の夢は
UFCに行って、ベルトを獲って有名人になりたい

夢を語るこどもたち。これこそ松根さんが夢見た光景だ。

松根良太さん:
若い人たちには夢を持って生きてほしいと思う。夢を持つとその夢を追いかけている時間がとても素晴らしいものになるし、夢を叶えた時の経験はとても強くさせる。
格闘技で夢を見たいという選手が沖縄に集まるような、沖縄格闘技界にしていきたい

(沖縄テレビ)

沖縄テレビ
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