食の雑誌「dancyu」の編集部長・植野広生さんが求め続ける、ずっと食べ続けたい“日本一ふつうで美味しい”レシピ。
植野さんが紹介するのは「ゆで豚肉 にんにく特製だれ」。
葛飾区・堀切にある町中華「来集軒」を訪れ、ニンニクの香りが食欲をそそる自慢のタレをたっぷりとかけた、お酒にもぴったりの絶品メニュー、ゆで豚肉 にんにく特製だれを紹介する。
名所もあるラーメン激戦区の町中華
来集軒があるのは、東京葛飾区の堀切。
「駅名になっているとおり、江戸時代から“堀切の花菖蒲”と言われて観光地として有名です」と植野さん。
綾瀬川の支流に位置する葛飾区堀切。“金八先生”の舞台としても知られる堀切の有名スポットが、花菖蒲の名所「堀切菖蒲園」だ。
見頃となる5月下旬から6月中旬には「葛飾菖蒲まつり」が開催されている。
植野さんは「久しぶりに来たんですけど、ここは“ラーメン通り”と言われるほどのラーメン激戦区です」と話す。
その中にある一軒が「来集軒」だ。
73年間、厨房に立つ大将と支える長女
来集軒が開店したのは今から62年前の1962年。
浅草で始まり、亀有へと移転しながら、16年前に下町の町中華激戦区、堀切菖蒲園に店を構えた。

店内に貼られた豊富なメニューと、十分に胃袋を満たしてくれる納得のボリューム、それでいて価格は良心的なのが、この店の嬉しいところ。
昼時ともなれば、ザ・町中華な味を求める客で満席になる。

厨房で鍋を振るのは、大将・河野袈太郎さん、88歳。
修業を始めたのは中学校の卒業後のため、実に73年間も厨房に立ち続けている。
そんな大将の長女にあたる明美さんは、亡くなった母親に代わって、父と来集軒を支えている。
厳しい指導を受け独立するが…
1935年、長野県に生まれた河野袈太郎さん。
実家が貧しく兄弟も多かったため、家計を支えるために中学卒業後に上京。知り合いのツテで墨田区向島にあったラーメン店「来集軒」で働き始めた。

修業を始めたのは戦後まもなくで、料理は「見て学べ」の時代だった。
親方はとにかく怖くて厳しかったようで、親方から「小僧はまずいもの食って3倍働け!」と厳しい指導を受けても、河野さんは「家族のため、生きるために頑張らないと!」と奮闘し続けた。
「親方の厳しさに負けない!と奮起できたから今日まで料理をやめずにやってこられた」と、河野さんは振り返る。
さらに諦めなかった理由がもう一つある。
河野さんは「初めてお客さんはありがたいと感じました。やっぱりお客さんは神様だと思います」と話した。
厳しい親方の元、毎日必死に働いた河野さん。27歳の時、のれん分けという形で浅草・日本堤に自分の店「来集軒」を構えた。

夫婦で店を切り盛りして、来集軒は大繁盛し、後に葛飾区亀有に移転。
「何をやっても儲かる」と思った河野さんは、バブル絶頂期の1990年には、5階建てのビルを建て、高級中華料理店を始めたのだという。
しかし、「でかくやりすぎて失敗したんです。娘に怒られるんです。みっともないから遠くに行っちゃう…」と河野さんは当時を振り返る。

それから、逃げるようにやってきたのが、堀切だった。“ラーメン激戦区”を選んだのは、宣伝しなくても勝手に客がたくさん来てくれるからだという。
そんな河野さんには叶えたい夢がある。それは「100歳になったら、100歳ラーメンを作って稼いだお金は葛飾区に寄付をしたい」、それが河野さんの夢だ。

そして、今回のお目当て、来集軒の「ゆで豚肉 にんにく特製だれ」。
一口食べた植野さんは「来た!来た!甘みとにんにくの効いたタレが良いですね」と興奮。
来集軒「ゆで豚肉 にんにく特製だれ」のレシピを紹介する。