石川県能登町にある自然体験施設「ケロンの小さな村」。能登半島地震で深刻な被害を受け懸命の復旧作業を続けてきたが、2024年4月6日、遂に再開を果たした。祖父と孫、二人三脚でこぎつけた再スタートまでの道のりに密着した。
震災乗り越えたケロン村
能登町にある自然体験村「ケロンの小さな村」。震災から3カ月余りが経った4月6日、子どもたちの姿が戻ってきた。能登半島地震で大きな被害を受け、安全に遊べない状況が続いていたが、懸命の復旧作業で再びオープンすることができた。村長の上乗秀雄さんは「4月の第一週に無事オープンできて正直ホッとしている」と安堵の表情を浮かべた。
この記事の画像(8枚)名物の自家製パン&遊具
まだ雪が残っていた3月のケロン村。村長の上乗秀雄さんとその孫・拓夢さんが、村の再開に向けてキッチンで作業をしていた。上乗さんは「久しぶりのパン作りだから、手順がなあ」と笑っていた。ケロン村の名物「米粉のパン」。石窯が崩れ、電気オーブンを使うことになったため、焼き具合を確かめていた。2024年から運営に加わったばかりの拓夢さんは上乗さんの妻、純子さんからパン作りを教わり、震災後初めてのパンが焼き上がった。「うんま!あっつ!めちゃくちゃおいしい」と拓夢さんがパンを頬張ると、上乗さんは「うん、電気でも大丈夫やな」と手応えを感じていた。
パン作りの次は、子どもたちが楽しむ遊具作りだ。遊具の一つは、拓夢さんのケロン村デビューを記念して上乗さんが手作りしたものだ。上乗さんは拓夢さんに、余分に出たネジを削る最後の仕上げを任せた。「これで完成やね。拓夢の初乗り」。遊具に乗った拓夢さんは「すごい!意外と揺れるね」と祖父の計らいを喜んだ。上乗さんは「震災でどうなるか分かりませんけど、こんな風にしてケロンを続けられたらな。幸せだなと思うんだけどなぁ…ダメかなぁ…」と話した。
震災の記憶も伝えたい
村の再開まであと4日となり、急ピッチで進めてきた準備も最終段階だ。崩れた石垣でふさがれていた通路も人が通れるように片付け、大量の本が崩れ落ち足の踏み場がなかったツリーハウスの中もきれいに整理された。村が少しずつ元の姿を取り戻していく中、未だ残る危険な場所に「立ち入り禁止」の札を設置する。札は、シンボルの水車小屋にも。拓夢さんは「自然って時にはこういう形にもなるという、一つの新しい勉強や学びになると思うので」と話し、自然の素晴らしさと同時に恐ろしさも学んでもらう考えを示した。土台が崩れた水車小屋も、あえてこのままにしておくことに決めた。
それでも変わらないものもある。拓夢さんが指差した池にいたのはたくさんのオタマジャクシだ。ケロン村を作り始めた15年以上前、上乗さんを迎えてくれたのはにぎやかなカエルの鳴き声。「ケロン村」の由来でもあるカエルは特別な存在だ。「ここにはちゃんと普段の日常がある感じがしていいですね」と拓夢さんは目を細めた。再開に向けた最後の作業は子どもたちを出迎えるのぼり旗の交換だ。「子どもたち、お客さんを迎える態勢ができたのかなと。旗を上げられたということはなんとかなると思うから感無量です」。
子どもたちの姿が戻った
迎えたケロン村再開の日。上乗さんに声をかけると「きょうは午前3時半ごろにはここに来ました。太陽がサッと上がって行くのを見ながらパンを焼いていました」と答えてくれた。拓夢さんは「できることは全てやったかなって感じなので、あとは流れに身を任せて頑張ろうかな」と話した。震災の後は作業服ばかり着ていた上乗さんだったが、この日は普段のエプロン姿。店には試行錯誤の末にこんがりと焼き上げたパンを並べた。ピザ窯にも火を入れ準備は万端だ。
そして待ちに待ったオープン。子どもの姿を見ると上乗さんは「翔ちゃん~!もう6年生やじ?デカなったなあ~」と満面の笑顔で声をかけた。「おじちゃん!ウインナーパン一個ほしい」。自慢のパンを久しぶりに子どもたちに届けられた。その後も知らせを聞いた人たちが再開を祝いに村を訪れた。
しかし子どもたちであふれていた以前のケロン村の姿にすぐに戻ることは難しいようだ。「子どもの事情もある。それ以上に大人のお家をなんとかしないといけないとか。だって来るのも大変だもん。それでもいいお天気だから、気持ちよくいろんな人に会えて嬉しい一日です」と上乗さんは胸の内を話した。結局、この日やって来た子どもは3人だけ。それでも村に子どもたちの姿が戻ってきたことが大きな一歩だと、上乗さんたちは感じている。「全然違うね、ああしてのんびりとあっち行ったりこっち行ったりしながら遊んでくれるのは楽しみやね。これが見たかったの」。例え今は難しくても子どもたちが笑顔で帰ってくるその日まで。思う存分遊べる環境を整え上乗さんたちは待ち続けている。
(石川テレビ)