2022年カタールW杯で優勝候補のドイツ、スペインを破ったサムライブルー。見せてくれた「新しい景色」は、日本中を熱くした。その一員 シュミットダニエル。夢の舞台を経験し、順調にそのキャリアを積み上げていくはずだった日本代表GKを試練が襲う。フランス、リーグ・アンへの移籍が急遽破談になったのだ。当時の裏側をシュミット本人が語った。

“夢舞台”を経験して強くなった思い

「今度こそピッチに立ってあの大会で活躍したい」

宮城県仙台市で育ち、東北学院中高、中央大学を経てベガルタ仙台でプロキャリアをスタートさせたシュミットダニエル。

東北学院高時代のシュミット
東北学院高時代のシュミット
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その後は、ベルギー1部シントトロイデンへの移籍も果たし、日本が世界を驚かせた2022年カタールW杯では、代表メンバーに名を連ねた。出場こそなかったが、次の大会を意識するのに充分すぎる経験だった。

「今度こそはあのピッチに」そのために必要なことも理解していた。大会直後の2022年12月、仙台放送の取材に対し、こう話していた。

「プレーするリーグのレベルも移籍で上げていく必要がある」

当時、海外でプレーしたことがある日本人GKは元日本代表の川口、川島など数人のみ。それだけで目を引くものがあることは間違いない。しかし、シュミットはそこで満足しなかった。世界を相手に勝つため、さらなるステップアップが必要不可欠だと感じていた。

「4年前よりも日本サッカーは進化していたつもりだったし、多くの選手がヨーロッパに出てきて、世界の第一線で活躍してきているが、これでもまだ駄目ということはもっと頑張らなければと。その瞬間に思ったわけではなかったが、だんだん思うようになった」
(シュミットダニエル)

リーグ・アン移籍が見えた矢先...訪れた試練

ワールドカップで試合に出場するため、そして日本を勝たせるため、さらなる進化を目指したシュミット。所属するシントトロイデンでは守護神として君臨し、着実に成長を続けた。

197センチの長身を生かしたプレーと、「現代型GK」に必須な足元の正確な技術も生かし、21- 22シーズンから2年連続で30試合以上出場。ベルギー1部でリーグ戦100試合以上に出場した。

そのタイミングでシュミットに移籍のチャンスが訪れる。フランス、リーグ・アンの「メス」が獲得に乗り出したのだ。リーグ・アンはイングランド・プレミアリーグ、イタリア・セリエAなどと並ぶ5大リーグの1つ。シュミットにとって願ってもないチャンスだった。

絶対に必要だと思っていたステップアップ。交渉は順調に進み、あとは最後のチェックを残すのみだった。

しかし、そこで思いもよらないことが起こる。その時のことを2月、仙台放送の独自取材で明かしてくれた。

「メスのクラブハウスに行き、メディカルチェックを受けた。自分のユニフォームも準備されていて、ユニフォームをもって、移籍決定アナウンス用の映像を撮り、最後にサインするだけだった。その直前にチームドクターと面談があって、そこで一通り体の主要な関節、などを見て触るだけのチェックをされた。終わって僕と代理人が待合室で待っていると、スタッフがざわついていた。僕と代理人は『どうした?』みたいになっていて、1時間くらい待たされた後、代理人が呼ばれた。帰ってきて言われたのは『移籍はなくなった』」
(シュミットダニエル)

真実は分からないまま…消えた移籍

今だからこそ、笑いも交えながら話してくれたシュミット。当時、シントトロイデンは日本代表GK鈴木彩艶を獲得していて、この移籍が決まらなければシントトロイデンでは序列は一番下。試合に出場する可能性は限りなく0になることが決まっていた。それが分かっていたうえで無くなった移籍。きっと計り知れない悔しさやもどかしさがあったはずだ。

「『本当に?冗談でしょ?』といったけど、本当だと。『膝に問題がある』と言われたと。膝なんて問題を感じたことも、実際けがもなかった。何か別な問題があったのかとも思ったし、結局は本当のことは分からないままだった。モヤモヤしたままフランスからベルギーの家に3時間かけて帰った。結局強化部長の顔もわからない。かなりスキャンダラスな1日だった」
(シュミットダニエル)

代表選出されず「何のために練習を…」

実際膝には問題がなかった。実感がわかない、今後のこともイメージがわかない。そのままシュミットはシントトロイデンに戻った。

「(チームの)みんなに会ったら、俺に対して『なんでいるの?』といった感じだった。『最後にひっくり返されたわ』と言って…。お互いに励ましあってやっていたサブのGKと話したら涙が止まらなくなって、めちゃくちゃ泣きました。泣いている俺を見て『もう帰ったほうがいい、ゆっくり休め。俺が監督に言いに行くから』と。仲間がその日も含めて沢山助けてくれたおかげで少し持ち直したけど、2023年10月の日本代表に名前がないことで、本当に現実を突きつけられた。その時期は本当に何のために練習しているか分からない。自分は何をしているんだと思った時期で、自主練習中に涙流しそうになるみたいな。『結構追い込まれているな』と思って、10月は本当に耐える時期だった」
(シュミットダニエル)

常連だった日本代表にも選出されなくなった。シュミットは「選ばれないこともわかっていたけどね」と言葉をつないだが、「当時はサッカー人生の中でも特に苦しい時期だった」と振り返った。

後編では、シュミットがこの「どん底」からどうやって這い上がったか。支えになったのは仲間と家族の存在だった。

(仙台放送)

仙台放送
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