食の雑誌「dancyu」の編集部長・植野広生さんが求め続ける、ずっと食べ続けたい“日本一ふつうで美味しい”レシピ。

植野さんが紹介するのは「えびセロリガーリック炒め」。

2度も閉店の危機に陥った戦前から続く東京・東向島の名酒場「はりや」を訪れ、店と客で作り上げる酒場を目指す、女将の奮闘と秘伝のレシピを紹介する。 

スカイツリーのお膝元・下町に残る名酒場

浅草から3駅。東武スカイツリーラインの愛称で知られる東武伊勢崎線が乗り入れる東向島。

駅から徒歩8分ほどの場所に、東京に9つある都立庭園のひとつ「向島百花園」がある。

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もともとは1804年ごろに、当時の文化人たちによって作られた「民営の花園」。

早春の梅に始まり、230種もの四季折々の花々が、来園者を出迎える。

スカイツリーのお膝元・東向島には、下町の穏やかな街並みが残っている。

3代目女将の手作り料理を求める地元客で賑わう店

今回は、酒・つまみ・雰囲気、三拍子揃う「はりや」(東京都墨田区東向島5-3-1)の厨房へ。

1931年に開店し、墨田区内で移転を繰り返しながら3代続く「はりや」は下町の名酒場だ。

3代目女将の荘司美幸さんは、店の料理をすべて作っている。

どこかホッとする味を求め、連日地元のお客さんで賑わう。

女将特製の自家製チャーシューや、甘辛く味付けした煮卵がたっぷり入った煮卵サラダ。

焼きそばのように麺まで入ったキャベツ焼きなど、昔から続くメニューと新たに加わったメニューが新旧味わえる店だ。

2度の閉店の危機にもめげない女将の奮闘

酒屋「はりや」は1931年、美幸さんの祖父・佐重さんが墨田区鐘ケ淵で始めた。

店で飲みたいといお客のリクエストに応え、酒屋から酒場へと業態変換した。その後、美幸さんの父・幸助さんが2代目となり店を盛り立て、地元で人気の名酒場に。

祖父がはじめ、父親が受け継いだ「はりや」
祖父がはじめ、父親が受け継いだ「はりや」

幼い頃から飲食店で働く両親を見て育った美幸さんは「わたしもいつか自分の店を持ちたい!」という夢を持つようになる。

そして結婚後、4人の子どもを育てながら、2015年に念願の食堂を開店した。

ところがその1年後、両親が営む「はりや」に危機が訪れる。

店の前の道路が拡大するため、立ち退きを求められたのだ。

父・幸助さんは「俺も高齢だし、移転して店を続けるのはなあ…。店をたたむか…」と肩を落としていたところに、美幸さんが「常連さんの集う場所がなくなるのはもったい!私がお店継ぐよ!」と3代目に名乗りを上げた。

それから、自宅の一部を改装して、移転オープンにこぎつけた。

しかし、再び危機が訪れる。

今度は店の隣にマンションの建設が決まり、閉店せざるを得ない状況になった。

どうしても「はりや」を続けたい美幸さんは、移転先を探し続け2年ほどたったある日、現在の店が入るビルのオーナーから思わぬ提案を受ける。

「寿司店が閉まるから、そこでやってみる?」と言われ、「ぜひよろしくお願いします!」と返したという美幸さん。

寿司店の雰囲気が残る「はりや」の店内
寿司店の雰囲気が残る「はりや」の店内

そんな経緯もあり、店の外観や店内にはかつての寿司店の雰囲気がいまも残っている。

そしてその「はりや」で人気なのが、ほんのりエスニックな香りがたまらない「えびセロリガーリック炒め」だ。

大ぶりの海老と、きれいに筋取りしたセロリを、炒め合わせた酒がすすむ一品。

植野さん「エビとセロリって合いますね!」
植野さん「エビとセロリって合いますね!」

一口食べた植野さんは「上品な甘さでエビが泳いでいる感じですね」と称賛! 

はりや「えびセロリガーリック炒め」のレシピを紹介する。