元日に発生した能登半島地震から2カ月以上たった今もふるさとに残り、自主避難生活を続ける人たちがいる。一つ屋根の下に12人が集い、共同生活を送る場所を訪ねた。

空き家と車庫を自主避難所に

元日に震度7の地震が襲った、石川・輪島市門前町にある谷内和田地区。
車1台も通れないほど道路は陥没、ほとんどの住宅が全壊した。

大きな被害を受けた輪島市門前町にある谷内和田地区
大きな被害を受けた輪島市門前町にある谷内和田地区
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谷内和田地区にある自主避難所には、大地震翌日の1月2日から開かれ、2カ月たった今も23~91歳までの12人が共に暮らしている。

高崎覚区長(69):
みんな仲が良い。1つの地区でお祭りも一緒にやっているし、ほとんどのみんなが農家なので、稲刈りとかも共同作業で全部やっている。

高崎きくえ(91)さん:
2日からずっとここにいます。気心は完全に知れているから、「みんなでここにおろうよね」って頑張っています。ほかの避難所に行きたくないです。

自主避難所となっているのは1軒の空き家と車庫。
2007年の大地震で住宅が全壊したあとに新築したもので、今回の大地震では倒壊を免れた。

寝泊まりする場所は男女で分かれ、空き家が男性たち。車庫を女性たちが使っている。
車庫の床は冷たいコンクリート。全壊した家から畳を運び出して並べた。

1月末に電気が通ったものの、いまだ断水が続いている。水は手の空いた男性が給水車にもらいに行っているという。

避難所で生活する人も、日中は片付けをするためにそれぞれの家に戻る。

避難所の隣に自宅がある町田久子さん:
こんな家でもほしいものがあれば、入って上がって取ってくる。住めんよね。住めんよ。

約2カ月の避難生活で自宅から必要なものはおおむね持ち出し、あとは行政による撤去作業を待っている。

今回の地震で、町田さんの自宅のすぐ目の前にあった小屋も崩れてしまった。ここは地域にとって大切な場所だった、

地域に住む人の憩いの場だった小屋
地域に住む人の憩いの場だった小屋

町田さんは「母ちゃんたちの憩いの場だった。普通なら7、8人座ってわいわいコーヒー飲んだり餅焼いたり芋焼いたり。1月1日でよかった。普通の日だったら何人か埋まる。それだけはよかったと思う」と話した。

昔なじみの仲間と囲む食卓

この日、自主避難所にやってきたのは熊本の災害支援チーム。夕食として皿うどんが届けられた。

物資を届ける熊本の災害支援チーム
物資を届ける熊本の災害支援チーム

避難所では男性たちが力仕事を担い、女性たちが食事の用意を担当している。食事の予約票を作り、昼と夕方、避難所のメンバーに加えて、予約があった人の食事も提供している。

自宅での片付けを終えた住民が、食事をしに避難所に戻ってきた。

夕食を食べに来た人:
地震があってからしょっちゅう変わったものを食べてる。(支援が)日本全国から来ている。ありがたいね。もったいない。みんな気心知れた人ばっかりだから、特においしい。

気心が知れた仲間と囲む食卓
気心が知れた仲間と囲む食卓

昔なじみの仲間と囲む食卓。毎日のだんらんが避難生活の気晴らしになっているそうだ。

待ち望むのは仮設住宅への入居

しかし、自主避難所の生活は日に日に苦しくなっている面もある。

2月、輪島市は自主避難所への物資の配送を打ち切ると発表。谷内和田地区の避難所への配送も2月19日に終了した。その後は、灯油も自分たちで工面しなくてはいけない。

高崎覚区長は「灯油の支援がなくなったりとか、食べ物も毎日中学校の避難所に取りに行っていたが、それもなくなって、なんで今ごろそんなこと言うのか…」と苦しい現状を語った。

自主避難所のメンバーは高齢者が多く、この先、物資を遠くまで取りに行き続けるのは限界があるという。

町田久子さん:
仮設住宅ができるまでもうしばらくと思って1日1日過ごして、それ(仮設住宅)を待ってる。春が来るのを待ってる。

自主避難所のメンバー全員が希望している仮設住宅への入居。その時が来るまで助け合いの生活は続く。

(石川テレビ)

石川テレビ
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