2022年、日本一の称号を手にした富山のハンバーガー店が、ベトナムへ海外1号店をオープンさせた。高級路線のハンバーガーの前に立ちはだかったのは国民食のバインミー。2024年はシンガポール、上海に進出予定。海外での成功を目指し奮闘する、36歳の経営者に追った。
10年で“3倍”以上

中国に接し、南北に長い国土を持つベトナム。

2023年、人口は1億人を突破。40歳未満が全体の6割以上を占める、若者の活気にあふれた国だ。

ベトナム富山県人会 清水由美会長:
「どこ行っても人がすごいあふれている。ブラックフライデーなんか歩けなかった。それくらいすごい。年代的にも若い人が多いのもあるが、お金を使う購買力の違いだと思う。元気、すごい元気。」
若さに成長の可能性を求めて。
富山県内の企業も進出を加速させ、事業所の数はここ10年で3倍以上に。

その注目のベトナム市場に挑むのは、日本一のバーガー店だ。
“日本一美味しい”ハンバーガー

富山市総曲輪にあるSHOGUN BURGERは、焼き肉店などを営む県内の企業ガネーシャが2016年にオープンさせた。

世界一の和牛バーガー店を目指し、肉にこだわり、パテにはあらびきの牛スネ肉がふんだんに使われている。
値段は1つ、1000円以上。
強気の価格設定ながらも、若者を中心に多くの人に愛され、唯一無二のブランドに成長した。
2022年には、日本一美味しいハンバーガーを決める全国大会で一位に。

さらに、アメリカでの世界大会にも出場し、6位に入賞するなど海外からも注目されている。

そして、2023年7月。ベトナム・ホーチミンに、海外1号店をオープンさせた。
食材は現地で調達し、作るのもベトナム人スタッフと、オールベトナム。
現地で親しまれるバーガーを目指して、要となるパテは、和牛とベトナム牛を組み合わせた。
日本一のバーガーはベトナムでも人気店へ…と思いきや、予想外の光景が広がっていた。
立ちはだかる“バインミー”

SHOGUN BURGERの創業者、本田大輝さん36歳。
オープンから半年、久しぶりに店を訪ねた。
SHOGUN BURGER 本田大輝社長:
「久しぶりです。どうですか?」
SHOGUN BURGERホーチミン店責任者 高村隼平さん:
「そうですねえ…なかなか…ご期待に沿えず…」
オープン直後は大盛況だったが、次第に客足が伸び悩むようになっていた。
美味しいハンバーガーがどうして売れないのか。
本田さん、気にかかっている食べ物があった。

パンにハムや野菜など具材をたっぷりはさんだベトナムのサンドイッチ、バインミーだ。
国民食と呼ばれるほどポピュラーな食べ物で、注目すべきはその値段。
SHOGUN BURGERのチーズバーガーが約850円なのに対し、一般的なバインミーは200円ほど。
手ごろな値段の国民食、バインミーに対してどうすれば現地で選ばれるのか。
値下げに踏み切るべきか、思い悩んだ本田さんはある男性のもとを訪ねた。
「成功のカギは」

本田さんが訪ねたのは、永露仁吉さん。
10年前にベトナムに進出し、6つの日系飲食店をプロデュース。

焼き鳥店では、日本と同じ価格帯で勝負し、成功を収めている。
SHOGUN BURGERとの違いはどこにあるのか。成功のカギを探りに来た。
SHOGUN BURGER 本田大輝社長:
「バインミーが日本円にすると200円くらいじゃないですか。500円くらいにして食べてもらえる状態にしたらどうかと今思っている」
永露仁吉さん:
「客層が見えなくなっている。日本みたいに中間層がないから、いくつかの層が別の国みたいに存在している。バーガーにとらわれ過ぎだと思う。どこが思い描いている形なの?」
永露さんは、バーガーやバインミーにとらわれて価格を下げるよりも、所得の個人差が大きいベトナムでは、ターゲットをより明確にして店づくりを進めることが大切だと指摘した。
永露さんが展開する焼き鳥店では、所得の高い人にターゲットを定め、夜景やサービスなどの付加価値をつけることで、鶏肉の安いベトナムでも人気店として繁盛していた。
永露仁吉さん:
「例えばSHOGUN BURGERベトナムっていのが、どういう人たちが集まってきてどういうシチュエーションで使っていて、そのイメージをもう一回固めたほうがいい。」
SHOGUN BURGER 本田大輝社長:
「うまいの出せばいけるだろうと思ったのが失敗した原因だと思う。」
永露仁吉さん:
「その国その国で戦略を作っていかないといけないけどそれができる才能のある、これからの飲食を背負う人だと思うので、頑張りましょう」
海外1号店で奮闘するSHOGUN BURGER。
ベトナムで多くのことを学び、2024年は更に、シンガポール、上海に進出する。
11の国がある東南アジア。総人口は6.7億人。ASEAN・東南アジア諸国連合ができた1967年、230億ドルだったGDPは、今や約3兆ドルと100倍以上に達している。世界から東南アジアに熱い視線が注がれる中、富山の企業はどのような戦略で挑むのか。発展が著しい東南アジアで奮闘する県内企業を紹介する。
(富山テレビ)