プライベートでも仲の良いプロフィギュアスケーターの高橋大輔、荒川静香、プロフィギュアスケーターで振付師の鈴木明子が『ボクらの時代』で鼎談。

現役時代を振り返り、全日本選手権のプレッシャーやモチベーション、つらかった思い出などを語った。

全日本選手権は「しびれる」舞台「怖かった。年末こないでと…」

フィギュアスケートの日本一をかけ、毎年12月に開催される全日本選手権。

3人共に出場経験があるこの大会に話が及ぶと、全員そろって「しびれるよね…」と苦笑。

日本のトップスケーターたちが集う舞台であり、注目度も非常に高いこの大会について、荒川は「初めて出られた時の喜びは何だったの?というくらい…。3年目くらいから出るのが苦痛になってくるよね(笑)」と話すと、高橋は「本当だよ、もう怖かったもん。年末こないでと思っていた(笑)」と荒川に同調。

高橋大輔、荒川静香、鈴木明子
高橋大輔、荒川静香、鈴木明子
この記事の画像(2枚)

鈴木が「みんなそうなんだ」と驚き、荒川は「一年で一番嫌な試合だったよね?」と話すと高橋と鈴木も「嫌だった…」と笑い合った。

一方で高橋は「でも現役復帰してから出るときは『うれしい!』『行けた!全日本』ってなった(笑)」と、現役復帰後は出場が再び喜びに変わったことを話すと、荒川は「そこ(プレッシャー)を超えたんだよね」と感心していた。

荒川静香「やめたら負けだった」

現役時代にスケートを続けられたモチベーションは何だったか、高橋が質問。

荒川は「やめるイコール負けだった。『あ、やめちゃうんだ、私…』っていうのがあって、やりたいというより、やめられなかった」と、当時を振り返った。

「満足したら辞める時だなと思うんだけど…」と荒川が続けると、「満足できた?」と高橋が再び質問。

「だからまだやっちゃってる(笑)でも、もう満足できる気がしない」と笑った。

鈴木明子、摂食障害を乗り越えて

一方、18歳の時に摂食障害を患い、1年間の休業を余儀なくされた鈴木。

連続で出場していた全日本フィギュアスケート選手権の結果もその年だけがないといい、「何がつらかったかって、病気もつらいんだけど、試合に出て行くことがすごくつらかった。もう結果が出ないのに、ギリギリ通るか、通らないかを初めて経験した。

当時はトリノ五輪前で、特に女子がすごくて白熱している中で、(私は)終わったって思われている。『自分ってダメなんだ、落ちこぼれちゃったんだ』みたいな思いはすごくあった」と当時の苦しかった思いを告白。

しかし鈴木は、「でもそれって過去に引きずられていて。『(安藤)美姫とか(浅田)真央とかみんなと戦っていたのに…』と思っていたけど、それを捨てちゃったら楽になった。

過去の小さなプライドとか、『あの時できていた』とかを全部なしにして、『今から新しい自分としていこう』みたいな」と、過去への思いを捨て気持ちをリセットできたことで、苦境から立ち直れたと語った。

すると荒川は「本当に全てを捨てきれたならば…と思うけど、でも捨てきらなかったから、プライドがあったからそれがまた動力になったところもある。今思えばだけどね。

スケートっておもしろいのが一回、何かを経験してまたはい上がってきた人たちって、そこに味が出る。深みが出るからそこが見ていてすごく感じるよね」と話すと、高橋と鈴木も共感していた。

「高橋大輔×荒川静香×鈴木明子」

ボクらの時代
ボクらの時代