96歳で脳神経外科の現役、北九州市に住む“名物医師”がいる。「ずっと働いていて突然死ぬ、それが私の希望」と話す先生。その仕事ぶりを取材した。
院内をさっそうと…96歳の現役医師
ハットにスーツ、スカーフを巻いたオシャレないでたちの男性。北九州市門司区の港から船に乗り込み、関門海峡を渡って向かった先は、山口・下関市の「よしみず病院」。地域の医療を守る総合病院だ。
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男性は、受診に来たわけではない。1927年、昭和2年生まれの吉村弘さんは、96歳で脳神経外科の“現役医師”だ。
吉村さんは週に3日、午前9時前から午後5時過ぎまで勤務し、入院患者の回診などにあたっている。
男性患者(78歳):
患者の身になって聞いてくれるところが違う。自分もトシを取って90歳になったとき、あんなふうになりたい
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吉村さんは、「自分でもここまでよくやってきたと思う。閻魔(えんま)大王さまも許してくれるだろう」と笑っていた。
吉村さんは1927年、日本の植民地支配下だった現在の韓国・ソウルで生まれ、戦後、日本に戻り九州大学医学部に学んだ。
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卒業後、40年以上開業医として働き、下関市の「よしみず病院」に勤務して20年。96歳の現役医師は、病院の“名物先生”となっている。
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吉村さんは、勤務医になってからは患者の状態を入力するためパソコンを使いこなし、病床が400近くある院内をしっかりとした足取りでさっそうと歩いてまわる。看護師にも人気だ。
看護師:
先生! 元気ですか?
吉村弘さん:
おー、久しぶりやね
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看護師:
(私、赤ちゃんが)もうすぐ生まれます。先生、おなか、さすって、安産祈願!
毎日100回トレーニング 月に1回ゴルフも
吉村さんの長生きと健康の秘訣は何なのか? 北九州市門司区の自宅を訪ねた。
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居間にはお手製の滑車訓練機が置かれ、毎日100回トレーニングしているそうだ。
吉村弘さん:
これは五十肩に最も効果的な治療法。腕が痛いとかないです。ゴルフで(球が)飛ぶようにこれをしている
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鍛え上げた肩を生かしてフルスイング! 吉村さんは月に1回、友人らとゴルフコースをまわり、門司区内であればどこへでも自転車で出掛けるなど積極的に体を動かしているのだ。
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吉村弘さん:
規則正しい生活。朝、同じ時間に起きる。仕事をさせてもらっているおかげで元気。それが一番、元気、長生きの秘訣だと思います
「命は何にも代えられない」 医師の道へ
門司区の医師会長も務めた経験もある吉村さんだが、もともとは医師ではなく、海軍兵志願だった。
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海軍時代、広島市内から12キロ離れた離島での訓練中に、原爆が投下された。それがきっかけだった。
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吉村弘さん:
光って、すぐキノコ雲が「うわーっ」とできた。「ピカッ」としたときに、みんなびっくりして伏せた。起きたら雲が出てね。しばらくしたら爆風と爆音が来た
原爆投下の1週間後、広島市内の遺体収容に赴き、一面の焼け野原を目の当たりにした吉村さん。戦地に赴くことのないまま終戦を迎え、医師の道に進んだのだ。
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吉村弘さん:
やっぱり「戦争はしたらいかん」と思った。命は何にも代えられないのだから
吉村さんは、長い人生の中で痛感した命の尊さと健康の大切さをかみしめながら、日々、患者と向き合い、医師として生涯現役を目指している。
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吉村弘さん:
ずっと働いていて突然死ぬ、それが私の希望です。歩ける間は来ようと思っている。病院から「あなたは、ぼけてるから来なさんな」と言われるまで。ははは
日本国内では、働く「人生の先輩」が増えている。2022年の65歳以上の就業者数は過去最多の912万人、働く人の7人に1人が高齢者となっている。(2023年9月・総務省)
(テレビ西日本)