教団武装化で中心的役割

 
 
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元オウム真理教幹部・早川紀代秀死刑囚。
坂本弁護士一家三人を殺害しながらも、素知らぬ顔で無関係を装った男。
坂本弁護士一家殺害事件などあわせて7つの事件で殺人などの罪に問われ、死刑が確定した。

大阪出身の早川死刑囚は、神戸大学農学部、大阪府立大学大学院を経て大手ゼネコンに就職し、その後、オウム真理教の前身「オウム神仙の会」に入信。
新実智光死刑囚とともに、常に松本智津夫死刑囚の両脇を固めていた。

 
 

松本死刑囚より年上で、若い教団幹部が多い中で一目おかれる存在だった早川死刑囚。
松本死刑囚からの信頼は厚く、脱走した信者の連れ戻しや様々な特殊工作を行う実行部隊の責任者として、その地位を固めていった。

山梨県上九一色村(当時)のサティアンと呼ばれる教団施設の建設など国内の勢力拡大や海外進出、そして武装化の中心的役割を果たした早川死刑囚。
ロシアに頻繁に訪れ、機関銃などの武器を日本に持ち込もうとしていた。

 
 

“陰の司令塔”に死刑執行

教団の「陰の司令塔」などと呼ばれた早川死刑囚。
裁判では、1・2審とも死刑判決を受けて上告したが、2009年7月最高裁が上告を棄却し、死刑が確定した。
最高裁は「教団幹部として積極的に犯行に関わり、果たした役割は大きい」と指摘した。

今年3月、早川死刑囚は東京拘置所から福岡拘置所に移送された。
そして、7月6日死刑が執行された。

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