鹿児島で51年ぶりに開かれる国体「燃ゆる感動かごしま国体」。前回、1972年に鹿児島で開かれた「太陽国体」はどのくらい盛り上がったのか。そして再び鹿児島で国体が開かれる意義について、半世紀前に快挙を達成した鹿児島の選手たちに聞いた。
半世紀ぶりのかごしま国体開催
鹿児島テレビに太陽国体開会式を撮影したカラーフィルムの映像が残っている。
この記事の画像(13枚)会場は今回と同じ、白波スタジアム(当時の名称は鴨池陸上競技場)。満員の会場からは当時の熱気が伝わってくる。
あれから51年。鹿児島市の商業施設「よかど鹿児島」には、太陽国体当時を振り返るコーナーが設けられ、当時の鹿児島選手団の制服や天皇杯・皇后杯の賞状。それに当時の盛り上がりを伝える地元紙・南日本新聞の記事が紹介されている。
未だ破られていない記録
中でも目を引くのが、1972年10月27日付「5冠全部を奪取・一般男女執念で逆転」の大きな見出し。伝えているのはソフトテニス(当時は軟式庭球)での鹿児島県勢躍進だ。
高校男女、一般男女そして、教員男子。当時の国体の5部門の団体戦ダブルスすべてで優勝したことが伝えられている。すべての種別で優勝したという記録は、51年たった今も破られていない。
鹿児島市南部にある東開庭球場。太陽国体ソフトテニスで熱戦が展開された場所だ。
偉業を成し遂げたメンバーに集まってもらった。新聞を飾った大逆転勝利の2人、一般男子の谷本立美さん(77)・中村宏之さん(78)ペア。そして教員男子の中脇努さん(78)、川畑城さん(80)と高校男子で出場した南俊行さん(68)だ。
「サインの練習をしたりしました(笑)」と話す南さん。実際にサインをしたことがあったという。ちなみに谷本さんは「私にはサイン来なかったです」と笑いながら話してくれた。
当時の写真を見せてもらった。会場は屋外の東開庭球場…だったはずだが、決勝戦の写真はなぜか体育館。その答えを谷本さん中村さんペアが教えてくれた。
太陽国体軟式庭球一般男子優勝・中村宏之さん(78):
決勝戦は雨が降り出して、東開庭球場から、(鹿児島市の)鹿児島商業の体育館で決勝戦は始まった
太陽国体軟式庭球一般男子優勝・谷本立美さん(77):
全部応援は地元ですから、で、体育館ですから、ものすごい歓声がありました
太陽国体軟式庭球一般男子優勝・中村宏之さん(78):
そのときは、もうやった!と2人でこうやって(抱き合った)
太陽国体軟式庭球一般男子優勝・谷本立美さん(77):
テニスの神様というのがいるんだと思いました
それから半世紀。すでにこの世を去ったメンバーもいる。
教員男子優勝・中脇さんとペアを組んだ福田さんは2020年に他界した。「(太陽国体では)じいさんばあさん、みんな応援に来て、この上ない、人生の一つの思い出にできたのではと思っています」と中脇さんは振り返る。
試合後、県代表は鹿児島市内の旅館で祝勝会を開いた。
太陽国体軟式庭球教員男子優勝・川畑城さん(80):
飛び上がって喜ぶくらいうれしくて、皆さんとね、もう握手握手でやってましたけどね
現在、鹿児島県ソフトテニス連盟の会長を務める川畑さんが案内してくれたのは東開庭球場にある「太陽国体完全優勝」の記念碑。「当時先輩たちがだいぶ資金を集めて作ってくれた。あの歴史的快挙は後世に残そうと、この記念碑を建てていただいた」川畑さんが教えてくれた。
太陽国体軟式庭球教員男子優勝・川畑城さん(80):
僕は選手で51年前出させて頂いて。今度は若い選手を応援する立場になるんですけど、一生懸命応援したいと思っています
かつての栄光を蘇らせる
太陽国体から半世紀。2023年のかごしま国体でも東開庭球場でソフトテニス競技が行われる。取材した日は成年女子の鹿児島県代表・城山観光ソフトテニス部のメンバーが練習をしていた。
「皆さんこんにちは。けがをしないようにしっかり気をつけながら、本番を迎えてもらえたらと思います。必ずいい結果が出ると思いますので、頑張って下さい!」川畑さんが激励した。
太陽国体を彩ったメンバーの思いは、後輩たちに伝わっていた。
城山観光ソフトテニス部・黒木夏穂さん:
できれば(太陽国体のように)4種別(成年男女、少年男女)全部制覇したい気持ちは他の選手も多分一緒
城山観光ソフトテニス部・元村華楠さん:
今は亡くなられたんですけど、江口会長(前県ソフトテニス連盟会長)がいて、私たちに太陽国体について話してくださっていたので日本一目指して頑張ります!
9月の会期前競技でも熱戦が展開されたかごしま国体。会場にはコロナ禍で忘れかけていた“熱狂”や“感動”、そして鹿児島が一つになって戦う空気感が漂っていた。
半世紀の時を超え、スポーツの祭典、その舞台がいよいよ鹿児島に帰ってくる。
(鹿児島テレビ)