極秘任務の中、忍び寄る新元号の正式選定と発表の時
1985年(昭和60年)から政府の内閣審議室長、内政審議室長として、ご高齢の昭和天皇に万が一のことが起きた場合に備え、密かに昭和の次の元号候補を用意しておく任務にあたっていた的場順三氏。
考案を依頼した専門家との極秘の打ち合わせや、新元号案が条件に合うかどうかの膨大な確認作業、そして徹底した秘密の保持などの困難を経ながら、水面下での作業を進めてきた。
そうした中、「その日」はやって来てしまった。
1988年(昭和63年)9月19日、昭和天皇が吐血され、その病状が大きく報道された。
それを受けて的場氏は、9月22日ごろ、当時の竹下首相や小渕官房長官に、「昭和」の次の元号の候補として、3人の専門家が考案した「平成」「正化」「修文」の3案があることを内々に示した。

その後、様々なやりとりを通じ、首相や官房長官らとの間で「平成」が有力という認識が醸成されていく中、翌1989年(昭和64年)1月7日朝、昭和天皇が崩御された。
「平成」決定の正式手続きは情報漏れ防止で「缶詰」状態
ここから政府は、直ちに新元号決定の正式な手続きに入った。
政府は専門家に改めて「正式に」元号の考案を委ねる手続きを行い、元号に関する有識者の懇談会に先の3案を提示、これと並行して衆参両院の議長にも意見を聞く手続きをとった。
さらに閣議も開いたのだが、そこでは異例の措置がとられた。的場氏が回想する。
「懇談会を閉じないんですよ。出席者が出ていったらマスコミに撮られる、漏らされると困るでしょ。
閣議も開きっぱなしでやるんです。言ったらダメですよ!と言って休憩しながら閣議をやり政令を決めて、記者会見をした。綱渡りです。」

こうして徹底した情報管理のもと、午後2時半すぎ、小渕官房長官が記者会見で新元号は「平成」であると発表するに至った。
そしてこの歴史的会見にも様々な秘話があった。
秘話!小渕官房長官の「平成」発表会見
小渕氏が会見で「平成」と書かれた色紙を掲げたシーンはあまりにも有名だが、当初は色紙を掲げず口頭での説明だけとなる予定だったという。
しかし小渕官房長官の秘書官が、「平家の平と説明しても平家は滅びたし縁起がよくない」などとして、「平成」という文字を書いて掲げようと提案。
政府職員として内閣の辞令を書く担当をしていた河東純一氏が急きょ揮毫したという。

この「平成」と書かれた色紙は、その後竹下首相が所有し続けていたが、竹下氏の死去から10年経った2010年に国立公文書館に寄贈された。
現在は、実物こそ公開されていないものの、レプリカが一般公開されていて人気展示となっている。
さらに、この揮毫された「平成」という字がプリントされたクリアファイルが商品化され、平成のカウントダウンに入った今、売れに売れているという。
この会見によって小渕氏は「平成おじさん」と呼ばれるようになり知名度が一気に向上、後の総理大臣就任につながっていく。
しかし、最終的に「平成」と決めたのは、当然トップの竹下首相だ。
竹下氏は後日「小渕ちゃんがやったから平成おじさんになったけど、あれって(本当は)俺だよなあ」と、冗談っぽくこぼしていたという。

こうして決まった新元号「平成」だが、後日、意外な事実が明らかになった。
岐阜県に「平成(へなり)」という小字の地名があることがわかったのだ。
的場氏も「びっくりしました。小字までは調べていませんでしたから」と振り返る。
一躍全国の注目を集めたこの平成地区には一時観光客が殺到し、今も「道の駅平成」などが人気となっているという。
【「平成」の決め手の1つはアルファベット】
そして、3つの案のなかから「平成」が選ばれる際には、的場氏がとっさに発した一言が大きく影響したという。
「MとTとSでないHがいいんじゃないですか?」
「正化」と「修文」のアルファベットの頭文字が「昭和」と同じ「S」なのに対し、「平成」は「H」なので明治・大正も含めた近年の元号と区別できるのでは、という指摘だ。
この影響もあり決まった「平成」。
その後、的場氏らが、落選した案を考案した専門家に「申し訳ありませんでした」と伝えたところ「いい案が決まってよかったね」との反応だったという。
今回の元号選定でも、新元号のアルファベットの頭文字が「M・T・S・H」以外のものになるだろうというのは、すでに共通認識になりつつある。
今回の新元号はどうなる? 日本文学からの可能性は?
では今回の元号はどのように選ばれ、発表されるのか。
政府はすでに安倍首相と菅官房長官のもと、当時の的場氏の立場にあたる内閣官房副長官補らを中心に、極秘に選定作業に入り、すでに専門家からの案も提示されているとみられる。
一部には、日本独自の文化にこだわりの強い安倍首相は、これまでの中国の古典からではなく、日本の古典「国文学」に典拠した元号を選ぶのではという憶測もあるが的場氏は…。
「平成の時にも国文学は入っていたけど案にできなかったのは申し訳なかったし悔しかった。
ただ、いい案がなかったというのが正直な話。万葉集とか古今和歌集から取るのか、そうなると誰の漢詩なのかとかなる。
清少納言も紫式部も仮名文字で書いてある。本当にいい案があるかどうか難しい。
ただ国文学もいいものがあれば使えます」
このように指摘する的場氏。

そして新元号発表については、
「昔と違い最近は総理が記者会見を行うことも増えた。そうであれば一国民としては、今度は総理が会見で新元号を発表してもいいのではないか」
と思いを語った。
注目の新元号は誰が、いつ発表するのか。
時期については、周知・準備期間をとるため退位と新天皇即位の1か月前という案が有力になっているが、今の天皇陛下の在位中に次の元号を発表すべきではないという意見もあり、政府内で最終調整が行われているとみられる。
的場氏は取材の最後に、平成の時代が、大きな災害こそ相次いだものの、日本が大きな戦争に巻き込まれることがなかったのはよかったと振り返り、次の元号と新時代についてこう思いを語った。
「国民生活に溶け込むような元号になり、新しい時代が本当によい時代になればいいなと思います」

(執筆:フジテレビ政治部デスク 高田圭太)
的場順三氏のインタビュー前編:
「『ものすごく辛い・・・』元高官が明かす新元号秘話 平成残り250日」はこちらから