東洋一の歓楽街・歌舞伎町で過酷な日々を過ごしている野良猫がいた。

たにゃパパさんはひょんなことからその野良猫と出会い、やがてその猫のことをTwitter(X)に綴るようになった。

コロナ禍で苦しんでいた男性と、一匹の猫の不思議な出会いとその後が詰まったフォトエッセイ『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』(扶桑社)より一部抜粋・再編集して紹介する。

疲弊していたときに出会った1匹の野良猫

水たまりの泥水を飲んだり、コンクリートブロックを枕に寝たり。

たにゃパパさんは喧騒の街で健気に生きる野良猫の姿を撮影し、その写真にドラマティックな言葉を添えて投稿し、多くの人の涙を誘っている。

なぜかお皿に入れた水を飲んでくれない。泥水なんか飲まないでおくれ…。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)
なぜかお皿に入れた水を飲んでくれない。泥水なんか飲まないでおくれ…。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)
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野良猫とたにゃパパさんが出会ったのは2020年。

たにゃパパさんは、歌舞伎町で商いをしていたが、コロナ禍で売り上げは激減。金策に駆け回る日々が続いていく中で心身ともに疲弊していき、「もう終わりにしてしまおうかな…」と思い詰めるほどだったという。

そんなある日、歌舞伎町にあるいつもの駐車場で視線を感じた、たにゃパパさん。

視線をたどった先には、ジッと自分を見ている白い野良猫がいた。

出会ったころ。小さく、やせていて、目やにまみれだった。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)
出会ったころ。小さく、やせていて、目やにまみれだった。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)

「これまで、猫に興味をもったことはなかったんですけど、すごく心が弱っていたんでしょうね。つい話しかけちゃってね…。『なんか俺の顔についてる? 死神が見えてるの?』って」

よく見ると、顔も体も汚れていて、ガリガリにやせていて、でも目だけは凛と輝いていて。なんだか自分に重ね合わせてしまい、放っておけなくなったたにゃパパさんは、すぐにコンビニに走って猫用の缶詰を買って食べさせた。

そこからふたりは毎日、朝晩、ともに過ごすように。野良猫のことは自分の名前の一部をとって「たにゃ」と名づけた。

たにゃの住処。ここにいると、どんなに自分でグルーミングしても真っ白い体が汚れてしまう。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)
たにゃの住処。ここにいると、どんなに自分でグルーミングしても真っ白い体が汚れてしまう。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)

「たにゃと出会ってほどなくしてたにゃの住処がわかったんですけど、そこはビルとビルの間にある50㎝ほどのすき間。寒い日はエアコンの室外機の上に座って暖をとったり、ビニールシートの下に隠れて雨をよけたりしていたのだと思います。

でもそこはゴミだらけで…、ビルの上の方の窓からゴミを投げ捨てる人がいたんでしょうね。空き缶やペットボトル、お弁当の容器なんかが散乱していて、虫も湧いていて。目を覆いたくなるような不衛生な環境で、食べ物もなくて、これまでどうやって生きてきたのか。

どんなにつらかっただろうか。胸がしめつけられる思いがしました。たにゃ、すごいな、がんばってきたな、僕もがんばるよと、自然と会話をするようになりましたね」

たにゃとの出会いで優しい時間が流れるように

1匹の野良猫と1人のおじさん。歌舞伎町の片隅で、ともに心を寄せ合って過ごしてきた。

「仕事がうまくいかなくなると、周りから人も離れていきました。これまで周りにいた人って結局、自分の肩書きでつながっていたのかな…と。自分もそうだったのかもしれない。

上辺だけのつき合いをしていたというか。そんな関係ってむなしくて、なんの意味もないですよね。でもたにゃは違う。当時、本音で話せるのはたにゃだけでした。

野良猫のたにゃは警戒心が強かったので、時間をかけてゆっくりと距離を縮めていって。だんだんと足元でご飯を食べてくれるようになったのはうれしかったです」

雨の日は傘をさしてたにゃの食事を見守っていた。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)
雨の日は傘をさしてたにゃの食事を見守っていた。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)

たにゃと過ごす時間が増えていくにつれ、たにゃパパさんの気持ちに変化がおこる。

24時間お金のことや仕事のことばかりに支配されていた頭の中に、「たにゃに新しいおやつを買ってあげよう」「たにゃは今なにしているかな?」と、優しい時間が流れるようになった。

捕獲されてすぐは恐怖ととまどいから、ケージ内にある猫トイレにうずくまっていた。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)
捕獲されてすぐは恐怖ととまどいから、ケージ内にある猫トイレにうずくまっていた。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)

ふたりの合言葉は「明日も君に会いたいから、今日も生きる」。

喧騒の街・歌舞伎町で、たにゃとたにゃパパさんはお互いを希望に今日を生き抜くことを誓う。

そして、次第に距離を縮め、約2年の時間をかけて、ようやく捕獲に成功。今はふたりで暮らしている。

10年以上、歌舞伎町で懸命に生きてきた

「たにゃはさくら耳(耳カット)にされていたのですが、保護団体の方によると10年以上前に歌舞伎町でTNR(※)があったそうなのですが、そのときの子ではないかと。

そんなにも長い間、歌舞伎町でひとりで懸命に生きてきたんです。僕なんかより、ずっとずっと頑張ってたんですよ」

耳がカットされているのは不妊手術された証。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)
耳がカットされているのは不妊手術された証。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)

(※野良猫の繁殖を防ぎ、過酷な環境で暮らす猫を増やさないための活動のこと。【Trap/安全に捕獲し】・【Neuter/不妊手術し】・【Return/元に戻す】)の頭文字を取って、TNRと呼ばれている)

「昨今は異常気象で夏はとんでもなく暑いし、バケツをひっくり返したように雨が降ったりするし。外ではすごく怖かったと思います。

保護前の真夏にご飯をあげに行ったら『僕もう死んじゃうよ!』ってすごい顔で僕を見たことがあって。この暑さですし、地面に近い猫には本当に過酷だと思います」

安全な室内で、快適に暮らすたにゃ。ガリガリだった体もふっくらとした体つきに。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)
安全な室内で、快適に暮らすたにゃ。ガリガリだった体もふっくらとした体つきに。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)

「そうそう、たにゃは今でも雨の音がすると屋根のあるベッドの下に隠れてしまうんですよ。もう濡れないんだよ…って、切なくなりますね。

これまですごくがんばってきたし、たにゃはもう若くないので(猫の11歳は人間に換算すると60歳と言われている)、たっぷり甘やかしてあげたいなって思っています」

たにゃのおかげで新たな世界を体験

「たにゃは神様みたいな、猫の形をした神聖な存在なんです」と話すたにゃパパさん。

「といっても、そんなたにゃを捕獲したから全部うまくいった!大逆転!という感じではなくて。そうなってたらよかったんですけど(笑)。

今でもお金はないし、仕事もまだまだ苦しい状態。でもたにゃと出会ったおかげで、これまで出会えなかった方々とご縁ができたり、自分の知らなかった世界を知れたり、びっくりするような展開がおこってこの先の楽しみができたり。

僕にもまだまだやれることがあるかもしれない、と、自死を考えないようになりました」

野良猫の捕獲は大変。たにゃパパさんも一度失敗しています。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)
野良猫の捕獲は大変。たにゃパパさんも一度失敗しています。(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)

そのうちの1つが保護猫のボランティアだった。

「Twitterを通じて猫の保護活動をされていらっしゃる方との交流が生まれました。私財を投げうってまで小さな命を守ろうとする姿に、僕にもなにかできないかと思って、保護猫の譲渡の際のお手伝いをしています。たにゃの捕獲をお願いした保護団体さんへの恩返しの意味も込めています」

そしてフォトエッセイ『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』(扶桑社)の出版もたにゃパパさんにとっては新たな試みだった。

「まさかですよ。野良猫と暮らし始めたら本が出るなんて思ってもなかったので、写真も僕の記録程度のものしかなくて…。

でもこんな僕たちの姿を見て、野良猫の過酷な環境や保護活動を知ってもらって、優しい世界が広がるといいなと願っています。僕はたにゃに、たにゃは僕に、お互いに救ってもらって。今幸せです」。

『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』(扶桑社)
『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』(扶桑社)
たにゃパパ
たにゃパパ

関西出身。歌舞伎町で働き始めて20年ほど。2022年2月から野良猫・たにゃのことを綴ったTwitterを開始し、現在フォロワーは1万7000人。