中国による反スパイ法の改正

西村康稔経産相が、5月26日に中国の王文濤商務相と会談し、日中の経済協力を進めるためにも、北京で3月に反スパイ法容疑で拘束された日本の製薬大手「アステラス製薬」の現地法人の幹部である日本人男性の早期解放を求めたという。

しかし、実際のところは未だ解放の目途は立っておらず、打ち手がない状況だ。

中国は2014年に「反スパイ法」を制定
中国は2014年に「反スパイ法」を制定
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中国は2014年に「反スパイ法」を制定。これまでに17名の日本人がスパイ活動への関与を疑われ拘束された。そのうち1名が病死し、11人は刑期を終えるなどして帰国しているが、今回拘束された日本人男性を含め5人がいまだ拘束されている。

また、あまり報じられていないが、中国籍で元北海道教育大学の教授、袁克勤(えん・こくきん)氏も、2019年5月に一時帰国した中国でスパイ容疑のため拘束されて未だ解放されていない。

こうした状況下で、この反スパイ法が改正され、7月1日に施行された。

その改正反スパイ法のポイントと企業が注意すべきポイントとは。

反スパイ法改正のポイント

まず、改正反スパイ法は、その目的として総体的国家安全観を堅持することを掲げている。

改正スパイ法の目的「総体的国家安全観」は習近平主席が提唱した概念で、“政治の安全”(=体制の安定)が最重要であることが示唆されている
改正スパイ法の目的「総体的国家安全観」は習近平主席が提唱した概念で、“政治の安全”(=体制の安定)が最重要であることが示唆されている

総体的国家安全観とは、2014年4月15日、国家安全委員会が設立された際に習近平国家主席が提唱した国家安全保障の概念で、政治、国土、軍事、経済、文化、社会、科学技術、情報、生態系、資源、核等を掲げ、中でも“政治の安全”(=体制の安定)が最重要であることが示唆されている。

その改正反スパイ法について、以下注意すべきポイントを記載していく。(文量の関係上、全て記載はできない旨を断っておく)

1.定義の拡大(4条1項)
取り締まりの対象行為について、 「国家の安全に危害を及ぼす行為」等で、当局がみなす全ての行為とし、自らの行為か他人の行為か、またはその行為の支持・支援等であるか、中国に関するものか第三国に関するものかを問わない。
現行法にある“国家機密 “に加え、「そのほかの国家安全と利益に関係する文書、データ、資料、物品」を対象に含むと定義し、更に「重要な情報インフラの脆弱性に関する情報」もスパイ行為の対象であると規定している。

2.キャッチオール文言による恣意的運用の拡大可能性(4条1項)
「その他のスパイ活動」という広範な解釈を可能にする恣意的運用を可能にする文言がある。

3.反スパイ工作(中国による“対スパイ”活動)への協力義務化(8条)
反スパイ工作への支援・協力義務、秘密保持の義務化が明文化。更に、同義務には外国にいる中国国籍者や外国企業の中国現地法人も含まれると推察されるため、例えば日本にいる中国人留学生やビジネスマン、日本企業の中国現地法人もその対象となる可能性がある。

4.密告の奨励(9条)
密告に対する表彰、報酬が奨励されている。これにより、日本の中国現地法人の中国人従業員から当局に積極的な通報が行われる可能性も。

密告に対する表彰、報酬が奨励されていて、現地法人の中国人従業員から当局に積極的な通報が行われる可能性も…
密告に対する表彰、報酬が奨励されていて、現地法人の中国人従業員から当局に積極的な通報が行われる可能性も…

5.当局への強力な調査権限の付与(24条~44条)
スパイ摘発に関し、以下のような強力な調査権限等の付与。
調査権限例:取調べ、差し押さえ、財産情報紹介、資産凍結、施設等の徴用、封印・凍結~
例えば、誰かが密告すれば、濡れ衣であっても、封印、凍結等がなされてしまうことになりかねない。
よって、理論上は日本企業内に密告者を送り込み又は買収し、密告させる“攻撃”も可能である。

(同法原文、CISTEC、企業法務ナビから筆者が加筆修正したもの)

結論として、反スパイ法の危険性は以下の通りである。

1.法自体が漠然としており、予見可能性がない
2.スパイ行為の定義は拡大され、恣意的運用の余地も拡大(更に、キャッチオール文言が残存している)
3.法的根拠を持った当局による摘発行為の拡大
4.密告の奨励により、企業内に懸念すべき対象者が潜む可能性
5.反スパイ法のターゲットは人に加え、企業に拡大する可能性

今後、中国は改正反スパイ法にのっとり、日本人を不当に拘束し続けていくだろう。

改正スパイ法の施行で企業への適用も拡大するおそれが…
改正スパイ法の施行で企業への適用も拡大するおそれが…

また、中国当局はコンサル大手の凱盛融英信息科技(キャップビジョン)や米国調査会社ミンツ・グループ、米コンサル会社ベイン・アンド・カンパニーに対し、反スパイ法を根拠とした取り締まりを行っており、企業に対する同法の適用も拡大するおそれがある。

このような状況下で、企業がどう注意すれば良いのだろうか。

中国現地で注意すべきこととは

中国現地では以下のポイントに注意してほしい。

1.まず外務省の「中国安全対策基礎データ」を参照し、基本的な情報を押さえる
例:地図や文書を持たない、軍事施設の写真を撮らない(看板等はないので注意)、無許可の国土調査や統計調査を行わない等

2.中国にとって機微な話題は外出先で話さない
例:新型コロナウイルス、ウイグル、香港、臓器移植、台湾有事、北朝鮮関連等

現地では、例えば「新型コロナウイルス」など中国にとって機微な話題は外出先で話さないよう注意したい
現地では、例えば「新型コロナウイルス」など中国にとって機微な話題は外出先で話さないよう注意したい

3.日中友好コミュニティに深く関与する人物は要注意、慎重な行動を
これまでの日本人拘束の傾向から、上記人物が拘束されているため要注意である。

4.日本の行政・情報機関と接点がある人物は要注意、なるべく渡航しない
これまでの日本人拘束の傾向から、上記機関と接点があり、且つ日中コミュニティに深く関与する人物が拘束されているケースが多い。

例えば、情報機関との接点で言えば、日本人が情報機関と認識せずにオープンな場で公開情報のやりとりをしただけでも、摘発する中国側からすれば、「日本の情報機関と接点を持った人物が、日中コミュニティを通して中国政府系人物と接触する可能性」があると見えれば危険と感じ、摘発の対象となる可能性は格段に上がる。

企業が注意すべきこととは

日本企業は以下のポイントに注意してほしい。

1.中国駐在員、中国出張者の属性を把握し、リスクがあるか判断する(前記#3、#4)
2.リスクが高い人物の出張を控える
3.これまでの中国と同様の関係であるという前提を変える

反スパイ法も当然だが、現在の日中関係は従前の関係とは異なる。まず日本という“国”の視点に立って、中国との関係が従前と変わっているという認識を持つべきだ。
4.企業のリスクシナリオにこれまでにはなかった領域の中国事業リスクを組み込む
例:反スパイ法、諜報活動、合法的技術窃取、台湾有事、国防権限法、国家情報法など

今回の改正反スパイ法は従前の反スパイ法から危険性が増したのは事実である。

外資を呼び込みたい中国は、なぜ反スパイ法を改悪し、外資の中国離れを進めるのか。

本改正により、在中国の外資系企業で働く外国人の安全に影響が及ぶのは必至である。

【執筆:稲村悠・日本カウンターインテリジェンス協会代表理事】

稲村 悠
稲村 悠

日本カウンターインテリジェンス協会代表理事
リスク・セキュリティ研究所所長
国際政治、外交・安全保障オンラインアカデミーOASISフェロー
官民で多くの諜報事件を捜査・調査した経験を持つスパイ実務の専門家。
警視庁公安部外事課の元公安部捜査官として、カウンターインテリジェンス(スパイ対策)の最前線で諜報活動の取り締まり及び情報収集に従事、警視総監賞など多数を受賞。
退職後は大手金融機関における社内調査や、大規模会計不正、品質不正などの不正調査業界で活躍し、民間で情報漏洩事案を端緒に多くの諜報事案を調査。
その後、大手コンサルティングファーム(Big4)において経済安全保障・地政学リスク対応支援コンサルティングに従事。
現在は、リスク・セキュリティ研究所にて、国内治安・テロ情勢や防犯、産業スパイの実態や企業の技術流出対策などの各種リスクやセキュリティの研究を行いながら、スパイ対策のコンサルティング、講演や執筆活動・メディア出演などの警鐘活動を行っている。
著書に『元公安捜査官が教える 「本音」「嘘」「秘密」を引き出す技術』