ヨーロッパの東に位置するポーランド。約8,500km遠く離れた福井と深い関係があることはあまり知られていない。
歴史をさかのぼること100年前。極寒の地シベリアで命の危機にひんしていたポーランドの幼い子どもたちを受け入れ、温かくもてなしたという事実だ。

日本がポーランド孤児救済に尽力…福井に降り立った歴史

11月7日、首都ワルシャワにある日本大使公邸にポーランド政府高官や地元マスコミなど、約200人が集まった。
ここにいる人たちの多くは、いわゆる「ポーランド孤児」の子孫たち。戦争や迫害などで親を亡くした子供たちの子孫だ。

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ポーランドは200年以上前、ロシアなど周辺諸国の侵攻により国が消滅した歴史がある。
何度も独立運動を起こすが、ロシアに鎮圧され、極寒の地シベリアに抑留された。

100年前には約20万人のポーランド人がシベリアで暮らしていたとされ、親を失った瀕死(ひんし)の孤児も多くいた。

命の危険にさらされる孤児だけでも救い出そうと、1919年ウラジオストク在住のポーランド人が「ポーランド孤児救済委員会」を設立。
世界各国に救助を要請し、その中で最も熱心に救済に尽力したのが日本だった。

ポーランド孤児の子孫:
父が孤児で家には日本のものが多くあった。日本人が着物を着ていたなど、日本の話をよく聞いていた

当時、日本は760人余りの孤児たちをシベリアから迎え入れた。その孤児たちが最初に日本に上陸した場所が、福井県の敦賀港だった。

敦賀の人々は孤児の集団が船で到着するたびに、町を挙げて歓迎した。
孤児たちは敦賀から東京や大阪などへ移動し、最終的に無事に祖国へと送り届けられたのだった。

ポーランド孤児の子孫:
きょう参加できて、とても幸せ。歴史を継承していくことは素晴らしいと思う

ポーランド孤児の子孫:
きょう招待されて、とてもうれしい。日本は私たちにとって大事な国で、私たちの先祖を助けてくれた。そのおかげで私たちは今ここにいることができる

「今度は私たちがウクライナを助ける」 受け継がれる人道支援の精神

約100年前、日本で撮影されたポーランド孤児たちの写真が残っている。
撮影場所は東京にある社会福祉法人「福田会」。子供たちに宿舎を提供するなど、救済事業の中心的な役割を果たした組織だ。

孤児たちが笑顔で写っているこの坂は今も残っていて、救済の歴史を今に伝えるシンボルになっている。

今回のパーティーを企画した福田会の太田孝昭理事長は「今の時代だからこそ、人道支援の大切さを伝え続ける必要がある」と強調する。

福田会・太田孝昭理事長:
命の岐路がそこにはあった。少なくとも765人が生の方へ向かった。素晴らしいことだと思う。何かを残して、線にしてつなげていければいいなと。私たちもその役割を果たしたい

福田会・太田孝昭理事長
福田会・太田孝昭理事長

2022年2月、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を受けて、福田会は日本各地から寄付を募った。
そしてウクライナからの避難民のために使ってほしいと、国境を接するポーランドへ善意を送った。
食料品や衛生用品などに利用され、多くの命を救う手助けとなったという。

パーティーに集まったポーランド孤児の子孫たちもウクライナに対する支援を行った。
かつてロシアにより国を失ったことがあるポーランドにとって、ウクライナへの軍事侵攻は他人事ではなかった。

ポーランド孤児の子孫:
今のウクライナの状況はポーランド孤児と似たような歴史だと思う。自分たちの先祖を助けてもらったので、今度は私たちがウクライナを助ける番です

100年前、敦賀に降り立ち命をつないだポーランド孤児たち。その物語は後世へと伝えられ、今、新たな人道支援へとつながっている。

(福井テレビ)

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