2018年、「急性骨髄性白血病」と診断され、治療に専念してきたTSS古沢知子アナウンサーが朝の情報番組「ひろしま満点ママ!!」に帰ってきた。
長い療養期間を乗り越えて4年半ぶりにスタジオに戻った今、何を思うのか。

白血病が発覚した日も朝の番組に…即入院で抗がん剤治療へ

2018年5月。食欲不振や身体のだるさなどの体調不良が続き、血液検査を受けた翌日。
朝の情報番組「ひろしま満点ママ!!」の出演を終えて、ふと携帯電話を見ると、病院から何度も着信が入っていた。

TSS 古沢知子アナウンサー
TSS 古沢知子アナウンサー
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病院へかけ直してみると、電話口で告げられたのは「白血病」という病名。

古沢アナ:
平日は番組もあったので何とか気力で頑張れていたけど、休みの日はもう起きることもしんどくて…体力には自信があったので、「いつからこんなに怠け者になっちゃったんだろう」と思っていました。「白血病」と言われて、だからこんなにしんどかったのかと納得した部分もありましたね

白血病だと発覚した日も番組に出演していた
白血病だと発覚した日も番組に出演していた

その日のうちに、大きな病院へ行くと即入院が決まった。仕事も家も全てそのまま。自宅へ帰ることは許されなかった。

古沢アナ:
白血球が「がん化」しているので、他の血液の成分もうまく機能していなくて…例えば転んだだけでも、血小板が少なくなっているせいで、血が止まらなくなってしまうという危険な状況だったみたいです。病院へ着くと、そこからは車いすでの移動でした

入院したその日の夜から始まったのが「抗がん剤治療」

抗がん剤治療を受けていたころの古沢アナ
抗がん剤治療を受けていたころの古沢アナ

無菌室で抗がん剤治療を1か月。1週間の一時帰宅、そしてまた1か月の抗がん剤治療という生活が1年間続いた。

古沢アナ:
白血病にもいろんな種類があるそうなのですが、私の場合は、抗がん剤が効きやすいタイプとのことでした。70%~80%の確率で、1年半くらいのうちに社会生活に復帰できると言われていました。
その点では希望がありましたが、やっぱり治療はしんどくて、1分でも1秒でも早くこの時間が過ぎてほしいと思うことが多かったです。
無菌室での生活は制限も多くて精神的にも辛かったのですが、病院の先生方や看護師さんたちがものすごく気にかけて、話を聞いてくれて…支えてもらいましたね

突然番組から姿を消した古沢アナ。視聴者からは心配の声や応援メッセージが寄せられた。
当時中学2年生だった娘のためにお弁当を作って持たせてくれるママ友がいたりと、多くの人に助けられたという。

視聴者からの贈り物は今も宝物
視聴者からの贈り物は今も宝物

そして1年後。がん細胞は検査で検出されなくなった。
しかし、染色体にわずかな異常が確認された。何度検査を重ねても毎回小さな異常があったが、「これで最後の検査にして様子を見よう」と医師と決めていた検査で、これまでにない大きな異常が出てしまった。

古沢アナ:
この染色体の異常は、骨髄が上手に血液を作れていないという証拠なので、放っておいたら白血病が再発するだろうと言われて、根治を目指すには移植するしかないとのことでした

移植で命を落とす可能性も…「本当にしないといけないの?」

造血幹細胞移植(さい帯血移植)を受けることになった古沢アナ。移植を受けるという決断に至るまでには、少し時間が必要だったという。

古沢アナ:
移植ができる状況だったのはとてもありがたいことだと分かっていましたが、抗がん剤治療でヘトヘトなのに、さらに苦しい移植を乗り越えられるのか、すごく不安でした。
リスクも大きく、私の場合は移植を受けることで命を落とす可能性は3割。後遺症が残る可能性も高いと言われました

古沢アナ:
この時が1番精神的にも参ってしまっていたので、もうこのまま、生きられるだけの時間を大切に楽しく生きられたら良いんじゃないかなと弱気になっていました

しかし、そんな古沢アナを前向きにさせてくれたのが、家族と亡き父の存在だったと涙ながらに語る。

古沢アナ:
私の病気が発覚したとき、父が末期がんで。週末、栃木の実家に会いに帰ろうと思っていた矢先に自分が入院することになってしまいました。父もしんどいのに心配をかけてしまって、どんな思いをしているだろうと考えるとすごく悲しくて、辛くて…

最初の抗がん剤治療を終えて一時退院した際、何とか栃木まで帰り「私は大丈夫だから!絶対治すから!」と会って伝えることはできた。
しかし、その2週間後に父が亡くなった時、古沢アナは再び抗がん剤治療のために無菌室にいた。最期の会話は、ビデオ通話となった。

インタビュー中、涙を見せた古沢アナ
インタビュー中、涙を見せた古沢アナ

古沢アナ:
「もっと父に対して何かできたんじゃないかな」という思いがずっと心にあって…もっと近くにいたら、もっとたくさん話していたらと後悔ばかりで…
だから、もし私が死んでしまったとしても、「やれることは全部やったからしょうがないよね」と家族が前を向けるようにしたいと思いました。
もしここで移植を受けずに、白血病が再発して命を落としたら、移植を受けるように説得すればよかったと家族がずっと引きずってしまうのかなと思って。リスクはあっても、できることを全部やろうと…

そして2019年末、古沢アナはさい帯血移植を受けた。

コロナ禍の治療乗り越え…4年半ぶりに生放送のスタジオへ

移植後も免疫の状態は万全ではないため、食べ物や触れるものにも制限がかかる。加えて新型コロナウイルスの流行。さらに注意が必要な生活を強いられた。それでも、少しずつ着実に、普通の生活を取り戻してきた。

そしてついに、2022年10月10日。「ひろしま満点ママ!!」のスタジオに古沢アナの姿があった。

4年半ぶりにスタジオに立った古沢アナ
4年半ぶりにスタジオに立った古沢アナ

明るく、おちゃめな姿は昔と変わらない。広島の朝の顔が帰ってきたのだ。

番組放送中に視聴者から送られたファックスやメールは850件にのぼり、これまでの「満点ママ!!」の出演者もスタジオに大集結。古沢アナの復帰を喜ぶ、温かくて「満点ママ!!」らしい空間がそこにあった。

古沢アナの復帰にかけつけた「満点ママ!!」ファミリーの姿
古沢アナの復帰にかけつけた「満点ママ!!」ファミリーの姿

4年半ぶりの番組復帰。嬉しいのはもちろんだが、辛い闘病生活を経験したからこそ、古沢アナには思うことがあった。

「本当に戻っていいのか」復帰への葛藤

古沢アナ:
2021年の8月からアナウンス部の内勤として復職はしていたのですが、「番組に本当に戻っていいのか、戻れるのか」というのはすごく悩みました。他の人の闘病記をみたり、病気が治って元気になった人の姿をみて、私も元気をもらっていたはずなのに、それがどうしても辛く思えてしまう時期があったので…
番組に復帰した私の姿が誰かに辛い思いをさせてしまうかもと思い、後ろ向きな気持ちになっていました。
また、移植による免疫低下で土や動物に触ってはいけないなど、一部生活に制限がある上に、コロナ禍ということで…自分の体力や体調にも不安が残る中、朝の生放送をきちんと担当できるのか、4年半のブランクもあるし、考え始めると不安だらけでしたね…

「ひろしま満点ママ!!」の放送が始まったのは、今から22年前の2000年4月。産休・育休で3年間番組を離れていた期間を除いて、先輩の棚田徹アナウンサーと二人三脚でやってきた。
復帰を悩みつつも、大好きな番組が戻る場所を残してくれていること、そして大切な視聴者に何も言えないままだったことに対する思いも、古沢アナの心の中にあった。

『ひろしま満点ママ!!』初回放送 古沢アナ(左)棚田アナ(右)
『ひろしま満点ママ!!』初回放送 古沢アナ(左)棚田アナ(右)

古沢アナ:
突然番組から姿を消してしまったので、元気になれたら自分の言葉で説明して感謝の言葉を伝えたいという思いがずっとありました。「戻っておいで」と番組がずっと待っていてくれたことも、本当にありがたいことですよね…
棚田さんにもたくさん相談させてもらいましたし、復帰を待っていてくれるみなさんからのメッセージや周囲の人に励ましてもらって、少しずつ、こんな私にもできることがあるならまた頑張りたいと思い、番組への復帰を決めました

棚田アナはお兄ちゃんのような存在
棚田アナはお兄ちゃんのような存在

古沢アナ:
復帰した日の放送でもたくさんの方からメッセージをいただいて、一緒に喜んでもらえて、嬉しかったですね。たくさん悩んだけど、こうして戻ってくることができて、頑張ってきてよかったなと思いました。心から、この空間が好きだな…この生放送の雰囲気、「満点ママ!!」の温かさが大好きだなと感じました。
視聴者のみなさんや番組関係者に改めて感謝するとともに、「元の生活に戻してあげたい」と懸命に治療してくれた医療関係者のみなさん、ドナーの方、そして献血をしてくださった方々、私を励まし、支え続けてくれた全ての方に感謝の気持ちを伝えたいです。本当にありがとうございました

届いたメッセージを番組内でも紹介
届いたメッセージを番組内でも紹介

再出発した古沢アナに、今後の意気込みを聞いた。

古沢アナ:
白血病になって、本当に辛いことがたくさんあって、”当たり前の毎日”のありがたさを実感しました。復帰に向けてはいろんな葛藤がありましたが、これからも広島のみなさんの当たり前の毎日を少しでも明るく、楽しくできるお手伝いをしていきたいと思います。
それから、闘病中は何度も輸血をしていただきました。移植はもちろんなのですが、日々の輸血がなければ、私は今ここにいません。どれほど多くの人が輸血を待っているのかも闘病中に目の当たりにし、改めて献血の大切さ、ありがたみを感じました。
献血のように身近なところからできることがあるということ、少しでも自分がおかしいと思ったら検査を受けること…私に伝えられることをみなさんに伝えていきたいです。
それが、これまでたくさん支えてくださったみなさんへの恩返しに少しでも繋がればいいなと思っています

変わらない掛け合いをみせると古沢アナ(左)と棚田アナ(右)
変わらない掛け合いをみせると古沢アナ(左)と棚田アナ(右)

「ひろしま満点ママ!!」は毎週月曜~金曜 午前9時50分放送。(広島地区) 古沢アナは、火曜日と木曜日のMCを担当し、これからも広島に元気な朝をお届けしていく。

(テレビ新広島)

テレビ新広島
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