被爆から77年を迎える広島で、英語で被爆体験を語る85歳の被爆者がいる。ロシアのウクライナ侵攻で、核兵器の脅威が世界で再認識される中、改めてその役割が求められている。コロナ禍の1年半を取材した。

小倉桂子さん(英語)
私は小倉桂子です。平和のためのヒロシマ通訳者グループの代表です。広島に落とされた原子爆弾で被爆したひとりです

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コロナ禍にウェブサイトを立ち上げ、英語で発信を始めた被爆者がいる。
小倉桂子さん。

「つらいのは毎日人が死んでいくのを目の当たりにしたこと」

独学で英語を身に付けた。8歳のとき、広島市東区牛田の自宅で被爆した小倉さん。この世の地獄を目の当たりにしたという。

小倉桂子さん:
一番つらいのは、小さな子供だったのに毎日毎日人が亡くなっていく。本当にひどい状況を私が見たこと。それがすごい強烈なんですよね。

小倉桂子さん:
やっぱりずっと後ろめたさというのは、目の前で人が亡くなっていて、それって私のせいかもと思って、それがトラウマになって、絶対これは一生人に言うまいと

25歳で結婚し、主婦に。夫・馨さんは、アメリカ生まれで英語が堪能。市役所勤めで通訳をし、平和行政にも携わった。

その夫は、小倉さんが42歳の時に突然他界。はからずも、亡き夫に代わり被爆者の通訳をする機会が増えていった。そんなとき外国人から言われたのは…

「通訳ではなく、あなた自身の被爆体験を…」語り始める転機に

小倉桂子さん:
「桂子、自分の話をしてくれないか。そうすると通訳の時間がない分だけ、僕たちは聞きたいことをいくらでも聞けるから」と言われた。通訳が無ければ倍時間があるから、もっとそういう見えない苦しみを伝えられるんじゃないかなという風に思うようになって

英語で被爆体験を語る小倉さんの元には依頼が続き、40年以上、国内外で伝え続けてきた。その数は年間約2000人にのぼる。

小倉桂子さん:
7月ですね、毎年こんな感じでした

しかし、2021年は新型コロナウイルスの影響で…

小倉桂子さん:
全部キャンセルになりました。結構たくさん入っていたんですけどね

それでも歩みを止めず、仲間と2021年8月6日、英語でヒロシマを発信するホームページを立ち上げ、ユーチューブで配信も始めた。

小倉桂子さん:
コロナの壁を乗り越えて、戦争は嫌だ、核兵器は嫌だというその強い意志を世界に発信するために、2021年は打って出る元年

オンラインを駆使し、精力的に新たな活動を始めた2021年。もうひとつ思いを強くする出来事があった。

20年以上通訳を務めた坪井直さんの遺志を引き継ぐ

2021年10月、被爆者運動を先頭に立って引っ張ってきた被爆者の坪井直(すなお)さんが亡くなった。

小倉桂子さん:
さみしい

小倉さんは、20年以上にわたって坪井さんの被爆証言の通訳を務めてきた。一緒にアメリカにも同行し、坪井さんが平和の種をまく力強い姿を目の当たりにしてきた。

小倉桂子さん:
坪井先生は相手の目線に合わせるのね。

小倉桂子さん:
相手が理解できないような話し方はなさらない。その国の問題点とか悩みとか、そういうものを踏まえて相手の気持ちになって話をされる。

小倉桂子さん:
影響力。私もいつもそれを思う。私がきょう話をしたこの話を聞いた人たちは、次にどんな歩き方をするだろうかという風なことを想像するんですね。坪井さんのそばでお話しを伺った経験が、私にさせているものだと思います

大きな影響を受けた坪井さんの死。自分はあと何年続けられるか。坪井さんの思いの分も歩みを止めない。そう胸に抱いた頃、それは起こった。

ロシアのウクライナ侵攻…核の脅威にさらされる欧州からの取材急増

小倉桂子さん:
プーチンが、いかにもやすやすと核大国だと言った時の腹立ち。腹が立って、核を脅しの材料に使う、あんなひどい、あんな卑怯な。ロシアとウクライナの話だけじゃなくてね、核も軍隊もあった方がいいんじゃないかなっていう風に思う人がいるかもしれないから、そこでも、もうひと踏ん張りみんなで考えなきゃいけない

「今こそ被爆者の声を聞きたい」と、小倉さんのもとには取材や講演が殺到していた。スケジュール帳は再び埋まっていた。とりわけ増えたのはヨーロッパからの依頼で、この日はデンマークの公共放送の取材。

デンマーク人ジャーナリスト(英語):
デンマークでは多くの人が原子力を恐れていて、原子力に関する事実がほとんどわかっていない。多くの人が本当の事実を知りたいんです

デンマークは核を持たない国で、原子力発電所もなく、風力発電に力を注いできた。
しかし、NATO加盟国としてロシアの脅威にさらされる中、近隣諸国からの資源の供給も不安定に。核や原発所持への議論がにわかに起こり、広島と福島に取材に来ていた。

デンマーク人ジャーナリスト(英語):
被爆当時、いつ異変を感じたんですか

小倉桂子さん(英語):
放射線の影響について?それはわからなかったの。大勢の人が原爆投下後に市内に入り、のちに病気になったり死んだりしました。私の親戚や友人近所の人たちは、何の傷跡もなく家に戻りました。やけどもありません。でも死んだのです

デンマーク人ジャーナリスト:
我々は核兵器を持っていません

小倉桂子さん(英語):
どうかそのままを維持してちょうだい。私は核兵器をなくすために一生懸命走ってきました。でも、まだたくさんの核兵器があるの。私は何ができると思う?私はもう長くは生きられない。たくさんのほかの人たちに、同じことを考え続けてほしい

撮影を終えても、熱いやりとりが続いていた。

被爆者の生の声を次の世代に伝えることが重要

デンマークのジャーナリスト・アンダルス ルン マッチェンさん:
原爆を実際に体験した人と話ができるのは光栄なことですし、最後のチャンスになるかもしれない。被爆者の力強い声を聞くことは、次の世代に原子爆弾がよいことではないことや、本当に本当に本当に怖くて、本当に本当に本当に反対しなければならないことを伝えることができる

被爆者にしかできないことがある。
8月6日を前に、きょうも大勢の人が小倉さんのもとを訪れる。
そして小倉さんは相手の一歩につながるよう、願いを込めて言葉を紡ぎ続ける。

小倉桂子さん:
2023年にG7がありますね。リーダーたちが納得できるようなしかけをみんなで考えましょう。みんなが考えて、このリーダーたちの心の底深くに絶対核はいらない、使わないと思わせること。それは広島の心意気だと思います。みなさんの力だと思います。頑張ってください。お願いします。一緒にやりましょう

今、被爆者の実体験を次世代に語り継いでいくことが、私たちに求められている。

(テレビ新広島)