コロナの影響は伝統文化の継承にも…「時代の大波」に立ち向かう広島・鞆の浦の人たちの姿を追った。

コロナ禍で3年ぶりの鯛網漁…ブランクによる後継者問題も

5月1日。広島・福山市の鞆の浦(とものうら)で、「鞆の浦観光鯛網」が開催された。
コロナ禍で3年間中止されていた鯛網の開催に、地元は大盛り上がりだ。

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色鮮やかな幟が上がり、樽太鼓とともに全員で「大漁節」を歌いながら沖合へと向かう。
鞆の浦漁協の組合長・羽田幸三さんは、2022年の開催に大きな意義を感じているという。

鞆の浦漁業協同組合・羽田幸三さん:
継承していかないといけないので、この日を待っていました。休止中にベテランが何人か辞めてしまったので、若い人に引き継ぐ時間がなかった。毎年やっていれば、うまく引き継いでいけるんですけど...

始まりは江戸初期…いつしか福山が誇る伝統文化に

鯛網の始まりは、江戸時代の初期。初代福山藩主、水野勝成の命によって、村上水軍の頭領、村上太郎兵衛が1632年に考案したものといわれている。

1960年頃に漁としての鯛網は消滅したものの、福山が誇る伝統文化として、鯛網は続けられてきた。

2隻の網船を繋ぐロープを外すと、長さ約1000メートルの網が一気に海中へ。

2隻の網船は左右に分かれながら網を広げていく。しばり網とも呼ばるこの漁法は、網で円を描くように船を操って魚を囲い込み、逃げ場を失った鯛を文字通り「一網打尽」にするのが特徴だ。

全員で力を合わせて網を引き、手繰り寄せる。網を操るのは全て人の力で、かなりの力が必要だ。

この日は風が強く、船が大きく揺れる中で網を引き上げなければならない。まるで、海や網と格闘するような鯛網漁。
少し離れた観光船から漁師たちの勇壮な姿を見つめる観光客の眼差しも、いつしか真剣に。

網とともに引き寄せられた2隻の網船に挟まれ、上がってきた鯛のうろこが輝く。

観光客:
広島ならではの貴重な経験です。広島市内から来ましたが、これまで全然知らなくて機会がなかった

男の子:
3年間できなかったことはかわいそうだけど、今日出来てよかった

男性:
勇壮な掛け声で、昔ながらのやり方でやっている。昔も今もこういう感じで受け継がれてきたんだなと思います

船上でとれたての鯛を1000円で直売

無事に漁が終わると、観光船に網船を横付けし、客が乗り移ったところで獲れたての鯛の販売が始まる。とれたて、新鮮な鯛が1匹1000円で売られている。

観光客:
2回目なんですけど、今回は買った鯛を自分でさばいてみようかなと

コロナに負けず、伝統を守り続け、今も変わらず観光客に愛される観光鯛網。漁を終えて、港へ戻る漁師たちもリラックスした雰囲気に。

漁師:
久しぶりでちょっと忘れていたところもありましたが、やりはじめると結構体で覚えているものですね。先人の知恵に触れる貴重な機会かなと思います

鞆の浦漁業協同組合・羽田幸三さん:
おかげ様で、予約制にしたら5日間全部完売なんですよ。お客さんも待っていてくれたのかなと

貴重な伝統文化 後継者不足を乗り越えるには

久しぶりの観光鯛網漁に手ごたえを感じる一方、やはり後継者不足は大きな課題だという。

鞆の浦漁業協同組合・羽田幸三さん
今後はひとつの形として、この縛り網、鯛網の保存会的なものを立ち上げて、町の人にも参加してもらえるような仕組みも考える時期かと。今持っているもの、技術を伝える人が出てきてくれて、またお客さんに観てもらって喜んでもらえたらいいなと思う

鞆の浦の伝統文化を守るため、地域ぐるみで支える枠組みが必要になってきている。

(テレビ新広島)

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