「見つかれば絶対殺されるのはわかっていた」

ブチャ市 アナトリー・ペドルク市長
ウクライナ兵がブチャからロシア軍を撃退しました。ロシアはキーウを落とす作戦に失敗しましたが、ブチャは沢山の命や経済的に様々なものを失いました。きょうで解放されて4日です

取材に応じるブチャ市長
取材に応じるブチャ市長
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日本時間6日未明、フジテレビの情報番組「めざまし8」の単独インタビューに応じたのは、“大量虐殺”が行われたと報じられ、今、世界が最も注目するウクライナの街の一つ、ブチャのアナトリー・ペドルク市長。

ロシア軍に破壊されたブチャ市内の惨状 撮影:八尋伸さん
ロシア軍に破壊されたブチャ市内の惨状 撮影:八尋伸さん

「ロシアの蛮行を市長として伝えたい」として取材に臨みました。ロシア軍に制圧されていた街で、市長は、どんな行動をとっていたのでしょうか。

ブチャ市 アナトリー・ペドルク市長
侵攻が始まったときからずっとブチャにいましたが、市民が安全に避難するための道を作っていました。私は見つかったら絶対殺されるのは、分かっていたので、うまく行動していました。ずっとロシア軍が私を探していて、5日目で見つからなかったから、自宅が爆撃を受けたのです

ロシア兵の目を避けながら、行動していたというペドルク市長。その間にも、ロシア軍による激しい攻撃は続きました。

ブチャ市 アナトリー・ペドルク市長
今、亡くなった市民を確認しているところです。ブチャは小さい街ですが、亡くなった人がとても多く、その数は現時点で320人に及びます。ロシア兵は良心もない、名誉もない、戦争の倫理もない。一般市民を殺したり、街を爆破したりしました。キーウを落とすことができないと思ったから、一般市民を殺し始めたんでしょう。あんなことをするやつらは、野蛮人でしかない

ロシア軍に対する激しい憤りを露わにした市長。続いて語ったのは、野蛮な行為の数々でした。

ロシア軍に破壊されたブチャ市内の惨状
ロシア軍に破壊されたブチャ市内の惨状

「小さな街の小さな人間」日本にも感謝

ブチャ市 アナトリー・ペドルク市長
妊婦の女性は避難している途中で殺されました。また、一般市民を捕えて手足を縛り、銃で殺しマンホールに入れたりしました。これはただの人殺しで、ジェノサイドです。街の建物は建て替えられるけれど、失った命はもう戻りません。とても悲しい思いでいます

守れなかった市民の命。

市長は支援の手を差し伸べた国々に対し、感謝の言葉を述べました。

リモート取材に答えるブチャ市長
リモート取材に答えるブチャ市長

ブチャ市 アナトリー・ペドルク市長
今、必死にライフラインを立て直しています。避難民を受け入れ、経済的にサポートしてくれたポーランド、ラトビア、ドイツ、ルーマニアなどに感謝しています。僕は小さな町の小さな人間です。私たちは日本のサポートに、とても感謝をしています

(めざまし8 4月6日放送より)

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