日本の四大公害病の一つ、イタイイタイ病。かつてこのイタイイタイ病を巡って真実を潰そうとする陰謀が企てられていた。

フジテレビ系列28局が1992年から続けてきた「FNSドキュメンタリー大賞」が、今年で第30回を迎えた。FNS28局がそれぞれの視点で切り取った日本の断面を各局がドキュメンタリー形式で発表。

今回は第7回(1998年)に大賞を受賞した富山テレビの「30年目のグレーゾーン 環境汚染とこの国のかたち」を掲載する。

イタイイタイ病に鉱毒の疑いを唱えた萩野医師
イタイイタイ病に鉱毒の疑いを唱えた萩野医師
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前編では、イタイイタイ病の発見から見えない圧力と闘い続けた医師を追った。

後編は、“政官財学”の鉄のピラミッドが形成され、イタイイタイ病の原因はカドミウムではないとする学説が世界に向けて発信されたことを受け、奇異な学説を発表した日本とグローバルスタンダードのズレ、学者たちの戦いを追う。

(※記事内の情報・数字は放送当時のまま掲載しています)

イタイイタイ病の因果関係を日本だけが反対

イタイイタイ病は神岡鉱業が廃液として垂れ流した有害重金属カドミウム汚染によって、富山県の神通川流域で発生した公害病だ。その病の発見者であり、富山県の開業医・萩野昇医師は患者の救済にあたりながら、イタイイタイ病と闘い、1990(平成2)年に死去した。

彼の死の直後から、イタイイタイ病を歴史の陰に葬り去ろうとする動きが静かに起こり始める。

1992(平成4)年5月、ジュネーブで開かれたWHOの年次総会。日本は予算・人事を握る事務局長のポストを2期連続で獲得。WHOでの発言力を着実に強めていた。

そしてこのWHOを舞台に、日本は世界を敵に回した一大カドミウム論争を繰り広げていた。

「WHO10年戦争」と呼ばれるこの論争は、8カ国中7カ国(アメリカ、カナダ、スウェーデン、イギリス、ロシア、インド、チェコスロバキア※現在のチェコおよびスロバキア)がカドミウムとイタイイタイ病の因果関係を認める中、日本だけが反対。猿の実験結果を根拠に因果関係を否定し続けたのだ。

WHOがとりまとめた「カドミウム安全基準ドキュメント」
WHOがとりまとめた「カドミウム安全基準ドキュメント」

日本の執拗な反対に、残る7カ国が手を焼き、論争10年目にしてようやく採決され、WHOの公式ドキュメントがまとめられた。

その「カドミウム安全基準ドキュメント」では、カドミウムによって腎臓に障害が起き、骨粗しょう症を伴う骨軟化症が発生する、それがイタイイタイ病であるとカドミウムとの因果関係を認めていた。

しかし日本は、あくまでも猿の実験を盾に、反論の姿勢を崩さなかった。

「(猿は)人間に一番近い動物でしょ。その猿のデータと人間が違っていたんですよ。そのために猿はいけないって。他の国は遅れているよ、それだけははっきりしている。学問が進んで書き直さざる得ない」

イタイイタイ病総括委員会・野見山一生副委員長(自治医科大学)は当時このように語り、世界の学者らの考えを一蹴した。

日本の姿勢に対して、WHOカドミウムワーキンググループ・メルシェ事務局長は「各国の合意で結論が出されたんだ。なぜ重松(イタイイタイ病研究班総括委員会・会長)は今になって反対するのか。どういうデータで反対するのか示してほしい。もし新しいデータがあるなら検討する用意はあるが、なぜ日本は“逆さま”のことを言い続けるのか」と反論し疑問を呈した。

救いを求め日本の学者が世界へ訴える

1993(平成5)年5月、世界の中で孤立する日本の中で、「科学の真実を伝えたい」と、猿実験のチーフ・木村正己理学博士(慶応大学医学部分子生物学)が行動を起こした。

木村博士は猿の実験によるデータを示し、「カドミウムの影響を考えざるを得ない」と断言。アメリカ・ワシントンへも赴いた木村博士は、WHOカドミ安全基準グループ座長であるR・Aゴイヤー教授やWHO委員のM・Gチヤリアン教授と対面。

2人の教授にも実験データを見せ、イタイイタイ病とカドミウムに因果関係があること、骨粗しょう症などの症状が現れることなどを伝えた。加えて、「日本の政府は実験を優先的に実行させてくれます。しかし、現場の学者はデータや意見を公表できないのです」と訴えた。

富山県の萩野医師の病院では環境庁(現・環境省)のイタイイタイ病研究班による視察が行われ、イタイイタイ病研究班総括委員会の重松逸造会長も同席していた。

視察を終えた重松会長は、因果関係について「いろんな意味でこれも世界的な問題ですから、日本としては明確な答えをなんとか出す必要がありますので、そのために確認するための研究は今でも続行している」と話した。

イタイイタイ病研究班総括委員会・重松逸造会長
イタイイタイ病研究班総括委員会・重松逸造会長

記者が「(因果関係は)今はグレーなのか?」と問うと、「関係のあることははっきりしているのでどんな関係の仕方をしているのか世界的に問題点が残されている。とっくに出ていると言えば出てるし、まだまだ残されている部分があるといえばある。私どもの研究班としてはここ1、2年で最終的な締めくくりをするつもり」とはぐらかしながら、実験に終わりが見えているとした。

国際会議で奇妙な理論を発表した日本

「1、2年で結論は出る」と言った重松会長の言葉とは裏腹に、結果が出始めていた実験の猿は突然と殺処分され、実験は中止。担当の木村博士は解任され、「環境保健リポート」の発行も中断された。

そして1996(平成8)年9月、ストックホルムで開かれた「国際労働衛生学会義」で奇妙な理論が発表される。

会場には日本の学者を代表して、環境庁イタイイタイ病研究を実質的に統括する野見山教授グループが出席。猿に代わるうさぎの実験データを基に、これまでとは全く違う学説を発表。同席した世界の学者と激しい論争を展開した。

その学説とは「うさぎの静脈に大量のカドミウムを注入し、その結果カドミウムが肝臓に溜まる。その肝臓障害こそカドミウム汚染の正体である」というもの。発症のメカニズムが違う以上、WHOの根拠、そしてイタイイタイ病の存在さえ否定されると結論付けた。

世界の学者との論争がどうなったのか。野見山教授が学会の直後、研究班の重松会長、環境庁、厚生省(現・厚生労働省)の幹部に宛てた手紙の文面には、ストックホルムでの論争の勝利宣言が記されていた。

野見山教授が学会の直後、研究班の重松会長らに宛てた手紙
野見山教授が学会の直後、研究班の重松会長らに宛てた手紙

手紙には、「カロリンスカ研究所の関係者と測定法を含めた激しい論争があった末、最後に座長のフリバーグ教授はじめ世界の主要なメンバーがWHOの理論的根拠の誤りに気付き改訂に同意した」と書かれ、「新しい理論に従えば汚染米の購入費、土壌改善費など企業側の補償も学問的な立場から見直しができる。再び訴訟になった場合でも日本政府の責任は問われない」と結んでいる。

人間と環境会議を世界に先駆けて提唱したスウェーデン国立・カロリンスカ研究所。あの手紙の内容は事実なのか、カドミウム研究では第一人者L・フリバーグ教授を訪ねた。

「日本の野見山教授の新しい学説を認め、WHOドキュメントの改定に賛同なさいましたか?」と聞くと、フリバーグ教授は「誇張以外のなにものでもない。私がそこでそのようなことを言ったことはない」と否定。「野見山教授の手紙には明確に書いてありますが」と改めて問いただすが、「違います」と首を振った。

因果関係を世界のみんなの前で確かめる

1998(平成10)年5月、日本の患者や患者団体の呼びかけにより、富山県富山市で国際シンポジウムが開催された。フリバーグ教授やWHOカドミ安全基準グループ座長であるR・Aゴイヤー教授ら、世界の学者が集まった。

猿の実験から解任された木村博士も姿を見せ、これまでの定説を覆し、日本の主張をする科学者たちの姿勢に対して憤りを露わにした。

「こんなことしていたら完全に遅れますよね。本来、サイエンティストはフェアだと思う。『言われてみれば、もしかすると自分の実験のこういうところが足りなかった』とか、『反論するにはこれが要る』とか。それを考えていくのがサイエンティストだと思う。一番いけないのは、それが行政に結び付くこと」

「イタイイタイ病とカドミウム環境汚染に対する国際シンポジウム」は、アメリカ、ドイツ、ベルギー、スウェーデン、中国、ニュージーランドなど、世界から100人を超える学者が集まった。

「カドミウム汚染の先端にイタイイタイ病があること、イタイイタイ病が人類にとっての大事な教訓であること、そして人類は今ある地点から一歩引き返し、低い濃度でも人類にとって問題が起きる危険性があることを認識すべきである。そうでなければ地球の環境と人類の生命は守ることができない」

これがシンポジウムの結論だった。

 そして突然、フリバーグ教授は緊急動議をかけ、会場にこう訴えた。

「みなさんに伺います。イタイイタイ病の原因はカドミウムであることに反対する人はいますか。『WHOカドミウム安全基準』に書いてあるイタイイタイ病とカドミウムの因果関係に反対する人はいますか」

このフリバーグ教授の質問に、日本を含めて誰も手を挙げなかった。世界のみんなの前で確かめることが大切なのだと、フリバーグ教授は静かに結んだ。

このシンポジウムの記録は英文に訳され、全世界で出版された。

“政官財学”の思惑から国際的にも決着がついていたイタイイタイ病の原因を、世界の舞台で日本は強引に押し戻そうと、グローバルスタンダートから大きく外れた行動を起こした。教科書だけで知ることはできないイタイイタイ病の歴史がここにある。
 

(第7回FNSドキュメンタリー大賞『30年目のグレーゾーン 環境汚染とこの国のかたち』富山テレビ・1998年)

初めて患者が認定された1967年(昭和42年)以来、2021年(令和3)11月末までで200人が認定され、現在生存されている方は1名。要観察者に判定された人は344人で現在、生存されている方は2名。

イタイイタイ病患者の苦しみは現在も続いている。

富山テレビ
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