7月の名古屋場所で全勝優勝を飾った横綱・白鵬。

右膝の手術と、2ヶ月に渡るリハビリを乗り越え、史上最多となる45回目の優勝を果たした裏には、亡き父の銀メダルの力があったという。

今場所、白鵬が抱いていた想いに迫った。

全勝優勝の中、最も重要だった初日の取組

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「最初は『あぁ最後なんだな、終わりなのかな』という気持ちはありましたし、横綱を務めた15年間の中で、“引退”という2文字が一番近くに来た、心と体で感じた場所だったんじゃないかと思います」

大相撲史上最も勝ってきた横綱・白鵬が、最も追い詰められて臨んだ、大相撲名古屋場所。

相撲人生の土俵際に追い込まれる中で初日から勝ち続け、15勝全勝優勝という偉業を成し遂げた。中でも白鵬がポイントにあげたのは初戦だった。

「初日なんですよ。今まで右足を軸に、左足で踏み込んでいたんですけど、それを左足を軸に右足から出しましたから。それを試したのが初日だった」

「左バッターが右バッターになる感じ」

3月に右膝の手術を行い、約2ヶ月間のリハビリ生活を送った白鵬。稽古を2ヶ月も稽古をしない生活は、相撲を始めてから初めてのことだったという。さらに手術直後は、階段を登ることすらおぼつかない状態だった。

右足を軸に左足から踏み込むのが白鵬の本来の立ち合いだが、右膝に負担をかけられない中で編み出したのが、今までと逆の足を使った、左足を軸にする立ち合いだ。

初日の明生戦後に見せた表情には、久しぶりの勝利の安堵と共に、新しい立ち合いへの手応えが現れていた。

「(例えるなら)野球とかゴルフとかで、シーズン中・トーナメント中にスイングを変えていく、しかも左バッターが右バッターになる感じ。初日に立ち合いができて、勝って、『よし、これで行ける』という確信というか、『よし!』という気持ちになりましたね」

亡き父の銀メダルからもらった“パワー”

左足を軸にする立ち合いを武器に連戦連勝し、右膝の爆弾とも上手く付き合い続けた15日間。

千秋楽では、亡き父・ジグジドゥ・ムンフバトが、メキシコシティオリンピックのレスリングで獲得した銀メダルが手元にあった。10日目を過ぎた頃、「勝負をかけたい」と母に送ってもらったところ、土俵入り前に届いたという。

「父のメキシコオリンピックの銀メダルです。千秋楽土俵入り前についたんです。本当にオヤジの魂がこのメダルに入っているので、親父との約束、現役で東京オリンピク迎えることができた。そしてもう一つ“優勝”ということにパワーをもらった」

更にこの千秋楽の会場には、白鵬の家族が駆けつけていた。見せたかったのは横綱としての父の姿だ。

「これが最後かもしれませんし、見てもらいたい覚えてもらいたい、記憶に残してあげたい。
特に4歳の娘(三女)にはこれまで無かったと思うし、大きくなって覚えていてくれたら嬉しい」

進退をかけて臨んだ今場所は、史上最多の45回目となる幕内優勝を更新した男の胸に深く刻まれるものだった。

右膝に言葉を掛けるとしたら「よく耐えてくれたなって言葉を送りたいです」と笑みを浮かべた横綱・白鵬。

今場所の優勝は「45回の中で、5本の指に入るんじゃないですかね。それぐらい上位に入ってくると思う」と、特別なものだったようだ。

 (協力:横野レイコ、吉田昇、山嵜哲矢)