「若年性認知症」に対する世の中の理解はまだまだ進んでいない。
高齢者に多い認知症が65歳未満で発症した場合、「若年性認知症」と診断される。
早ければ30代、40代から誰にでも発症のおそれがあるが、体はまだ元気な年齢だ。
認知症になったとしても前向きに人生を歩み続けるには何が必要なのか。症状と向き合う人々の日常を追った。
一度は諦めた仕事に再挑戦
塚本彰さん(取材当時64)は、1982年、介護福祉士の沙代子さんと結婚。
理学療法士として38年間勤務し、1男2女を育てた。
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富山県理学療法士会会長も務め、2016年、60歳で定年退職する。
その後、特別養護老人ホームに再就職したが、2019年6月に若年性認知症と診断されたため、退職した。
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若年性認知症と診断され、一度は仕事を離れた彰さん。
しかし2019年9月、富山県高岡市の特別養護高齢者施設「かがやき」で、再び理学療法士の職に就くことができた。
塚本さんにはリハビリ技術や知識が十分にあるため、若年性認知症になっても働ける場が施設の好意で提供された。
しかし施設長は、塚本さん単独での勤務には「状況判断ができにくくなっている」ことと、言葉で意思表示ができない入居者とのコミュニケーションの面で心配があると話す。
塚本さんの業務は、常に誰かがサポートしなければいけないという現状があった。
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妻・沙代子さんも「これだけ忘れる人が、職場でどれだけの人の力を借りて働くのかなと思うと、ずっと一人についてもらうわけにはいかない中で、個人的には続けてどうなんだろうというのはある」などと、不安な胸の内を明かした。
続けて、「PT(理学療法士)としての自分が“これだけやった”とか、楽しかった時間を過ごせる働き方が、もしかしたら他にあるかなと思ったりしているところ」と話す。
一方、彰さんに「仕事が楽しいか」と問うと「ある程度のことができれば楽しいが、それができなければ楽しくない…変な言い方だけど」とこぼした。
現実を受け入れられなかった発症当初
夫の異変に気づいたのは2年前。しかし沙代子さんは、夫の異変を素直に受け入れられなかった。
長女がその様子を振り返る。
「何回か診察には行ったけど、母は結果を全部良い方向に持って行こうとしていた。『まだ大丈夫』『そこまで悪くなっていない』とか。それを聞いて、『ここまで症状出ていて何もないっておかしくない?』と母に言った」
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ある時、彰さんが車を駐車場のどこに止めたか分からず、戸惑っていたこともあった。
沙代子さんはそれでも“認知症”とは認めなかったが、長女が「認知症の会」に行くように誘導したことで徐々に受け入れていったという。
事実を受け入れた今でも、ふとした時に落ち込むこともあるという沙代子さん。
「娘だったり、友人だったり、話を聞いてもらえる人がいてギリギリ保っているので、ますますひどくなったらどうなるん?と思うけど…」
理解を広めるシンガー・ソングライター
石川県金沢市出身のシンガー・ソングライター、ノンシャン。
母が若年性認知症を発症したこともあり、深い理解を持って活動していて、2015年には「若年性認知症の人と家族と寄り添いつむぐ会」を友人らと立ち上げた。
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母・沖子さんは52歳の時に認知症だと分かった。
「なんか変だなと病院に連れて行っても、何科に連れて行っていいのかわからず、脳外科とかに連れて行っても診断が出なくて。2年くらいかかった。
母は保育士だったので、小さい子を見るとパーッと行っちゃうんですけど、そうすると気持ち悪がられたり、怖がられたりして。若年性認知症は体も若いまま元気だから、どんどん遠くにも行く。見た目は普通、でも行動がおかしいから変な人だと言われたりした」
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妻が若年性認知症だとわかった後の、父・政寬さんの行動をノンシャンは尊敬しているという。
「病気が分かったときに(父が)近所の人に『助けて』と言ったのが一番良かった。『助けて』と言うのは意外と難しい、でも応援したい人は助けてくれる。なので、凄く楽でした」
政寬さんは15年間妻を介護し、2015年他界。その後、ノンシャンは東京から金沢へ活動拠点を移し、母の介護に専念した。
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そして、政寬さんが亡くなった翌年の2016年、母・沖子さんも他界した。
日記の中で、母は病気のことを”意地悪な友達”と書き残していたという。
ノンシャンは当時の母について、「病気だから仕方ないし、お母さんの本質は何も変わらない」と話す。
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政寬さんも、妻の行動に異変を感じても、元気だった頃を思いだし、「これは病気の仕業だ」と思う努力をしていたという。
家の中には「イライラしない」「優しくする」などと書かれたメモが置かれていた。
「なにしてるんや」怒ってしまったことも
若年性認知症を発症し10年になる中島禮子さん(当時72歳)と、夫の中島賛太郎さん(当時69歳)。
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禮子さんは、2010年、63歳の時に若年性認知症を発症した。
病院へ連れて行こうとする賛太郎さんだったが、禮子さんは「なんともないのに行って私を病人にするんだろうと」と言い、病院へ行くだけでも苦労したという。
「『なにしてるんや』って怒ったりもした。それが今となっては反省やな。怒っちゃだめって分からなかった」
賛太郎さんは、禮子さんを見つめ、手をつなぎながら話した。
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妻の介護に専念するため、賛太郎さんは7年前に仕事を辞めた。今では毎日料理も作っている。
賛太郎さんは「現役世代の人だったら経済的なことが問題になる。仕事はできなくなるけど、生活費はかかる」とこぼす。
そんな中、偶然見つけたポスターで「若年性認知症カフェ」の存在を知った。このカフェの存在が賛太郎さんにとっても、そして禮子さんにとっても救いになったという。
当時者や家族が集い、それぞれの思いを語り合える場所だ。
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“若年者”に寄り添った取り組みは、まだ全国でも少数。
禮子さんはこの日、デイサービスで塗ってもらったマニキュアを、参加者の女性から「かわいい」と褒められて、嬉しそうな表情を浮かべていた。
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この日、「若年性認知症カフェ」に出席していた道岸奈緒美さんは、「若年性認知症の人と家族と寄り添いつむぐ会」の副代表であり、ノンシャンとは高校の同級生。
ソーシャルワーカーの道岸さんは、若年性認知症についてノンシャンと語り合い、5年前にノンシャンと「つむぐ会」を立ち上げた。
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理学療法士の夫を妻が無償でサポート
若年性認知症を患いながらも、特別養護高齢者施設で理学療法士として働く塚本さん。
塚本さんが働く上で、“常に誰かが付き添うこと”が課題になっていたが、妻の沙代子さんが無償でサポートすることになった。
夫と共に利用者の様子を見て回り、塚本さんが苦手な「記録」もカバーする。
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施設長は、沙代子さんのサポートによって利用者のコミュニケーションがスムーズになっていると喜ぶ。
ここ数日、塚本さんの調子も良くなっているという。
一方で、沙代子さんは自身が夫の助手として働いていることを、施設で働くスタッフたちに理解してもらう必要性があると感じていた。施設長と塚本さんたちは互いに認め合う環境を作るため、毎日話し合った。
ある日、若年性認知症カフェでは「ノンシャンと歌う会」が開催されていた。
そこには禮子さんと夫の賛太郎さん、そして塚本さん夫妻の姿もあった。
禮子さんは歌うノンシャンに近寄ったり、他の参加者にも語りかけたり、とても楽しそうに過ごす。
「何にも絶望することないし、普通のことっていうのを知ってもらいたい」と、ノンシャンはメッセージを送る。
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2020年4月。新型コロナウイルスの影響で、若年性認知症カフェはオンラインでの開催となった。
それぞれが近況報告を行う中、塚本彰さん、沙代子さん夫妻は新たなチャレンジを始めたという。
それはウクレレ。パソコンを前に彰さんはウクレレを演奏し、ノンシャンとコラボ。同時に幸代さんはフラダンスを披露するなど、笑顔があふれるひと時を過ごした。
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自粛期間中、塚本さんはずっとテレビを見ていたというが、今では散歩にも出かけるようになったという。
「認め合う幸せ」とは何か。誰もが当事者になりうる若年性認知症。そんな中でも、患者と家族、そして周りの人たちはそれぞれが前向きに歩んでいる。
(第29回FNSドキュメンタリー大賞『認めあう幸せ』)