東日本大震災から10年。津波で家族5人を失い、父親と2人きりになった宮城県出身の男の子がいる。親子二人三脚で歩んできた、今日までの10年を取材した。

津波で家族を失い、父と息子の2人きりに

宮城・気仙沼市出身の千葉瑛太さん(19)。

現在は友人2人と共に、東京・八王子市のシェアハウスで暮らしている。

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東日本大震災当時9歳だった瑛太さんは、津波で母・美奈子さん(当時40)と妹のくるみちゃん(当時6)、祐未ちゃん(当時3)。そして、祖父母の宏一さん(当時68)・美代子さん(当時63)合わせて5人を失い、父親の清英さんと2人きりの家族になった。

千葉瑛太さん(当時10):(2011年合同慰霊祭)
みんな天国に行っちゃったんだよね。だから、いつまでも天国からパパと僕を見守っていてください

「バッティングセンターを作ってよ」

悲しみを抱え戸惑う日々…しかし、瑛太さんの一言がきっかけで、父と子の人生が大きく動き出した。

「バッティングセンターを作ってよ」

野球少年だった瑛太さんの何気ないつぶやきが、父親の心を動かした。

父・千葉清英さん:
本当にたわいもない約束ですよね。その一言があったがために、私のたぶん人生観がさらに変わったのかなとね…

牛乳販売店を営む清英さんは、バッティングセンター建設の資金を集めるため、全国でヨーグルトを販売。商品名は「希望ののむヨーグルト」。

「夢は必ずかなう」清英さんが瑛太さんに伝えたかった思いに共感し、ゴルフ場のネットが無償で提供されるなど、支援の輪は全国に広がった。

そして、ついに2014年、宮城・気仙沼市に清英さんの“バッティングセンター”がオープンした。

その後、瑛太さんは高校への進学を機に上京したが、19歳になった今でも、原点は思い出の地にある。

千葉瑛太さん:
中学校のころの野球に熱中していたころ、一生懸命頑張っていたころを思い出しますね

父・千葉清英さん:
体力のもつ限り、喜ぶ子が一人でもいる限り、(バッティングセンターを)開けていければいいなと思う

震災から10年経った2人の今

震災から10回目となった2021年の正月。津波で亡くなった家族に、自分の成長した姿を報告した。

父から教わった夢を実現させる“行動力”。瑛太さんも夢に向かって動き始めている。来年、イギリスの大学に進学するのだ。

千葉瑛太さん:
気仙沼に帰るのか海外から気仙沼なのか、どういうアプローチで気仙沼に携わるのか分からないけど、(気仙沼が)第二の故郷になればいいなって、いろんな人にとって。それが今の自分の理想…

父・千葉清英さん:
早いですね、10年たつの。数え切れない人の応援があってこそ今があるなって、つくづく感じますよね

故郷に恩返しするため、瑛太さんの新たな挑戦は始まったばかりだ。

(「Live News days」3月3日放送分より)