東日本大震災で、漁業施設や商店街、交通などに壊滅的な被害を受け、479棟の家屋が倒壊した岩手・野田村。関連死を含め39人が犠牲になった。

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スタートは1人の「すっぺしよ」から

栄養豊富な外海で育った、肉厚でうまみたっぷりな野田村のホタテ。
このホタテも震災により壊滅的な被害を受けたが、復旧に向け始動したのは、約1カ月後のことだった。

漁師:
実際の話、悩んでいても仕方がない。やる気があるんだったらやろうということで、”すっぺしよ”ってみんなを誘って、できるとこまでっていうのが震災当時のスタートになってます

震災から3年。
野田村の水産業を活性化しようと漁師や漁協、村で組織する荒海団が立ち上がり、ホタテは”荒海ホタテ”と名付けられた。

漁師:
荒海ホタテという名前がつくと、そのおかげで小・中・高校で勉強会といいますか、新たな漁師を探すといいますか、そういう活動が多くなったと思います

漁師:
ここから10年ということは、私たちも10年歳をとるので「若い人たちが来てくれないかな」という思いとか、(若い人が)来るためには何が必要なのか考えながら、ここからの10年はいきたいと思っています

「楽しく暮らせるようなコミュニティを」

震災から5年。
新町地区の災害公営住宅が完成。

町内会長を務める中野さんは、震災で兄・中さんを亡くした。

新町町内会長・中野大六さん:
災害で兄を亡くして、この10年間で続けざまに(親族を)亡くしてるから、すごい10年だったなと思ってます。つらくても生きていかなければ、暮らしていかなければならないからね

3年ほど前から、息子さんと一緒にシイタケの栽培をしている中野さん。
今後は、町内会長として地域の交流を盛り上げていきたいという。

新町町内会長・中野大六さん:
新しい人たちが来て、新しい町内を作ってここに住むことにしたんだから、ここでみんなが楽しく暮らせるようなコミュニティを作っていくしかないかなと思います

(岩手めんこいテレビ)