
取手市教育委が態度を一転、いじめを認め、両親に謝罪
「なぜいじめと認めなかったのかおしえてください。」
昨夜謝罪に訪れた取手市教育委の幹部に、菜保子さんの父親は言った。
亡くなる前菜保子さんは、日記に「いじめられたくない」と悲痛な思いをよせていた。
また、いじめがあったと証言する友人もいた。
しかし、教育委は去年3月、いじめにより心身に大きな被害があったとする「重大事態」に該当しないと議決した。

その後、両親が第三者委員会の解散を文科省に求めると、教育委は態度を一転、いじめを認め「自殺したことそのものが重大事態だった」として議決を撤回した。
さらに31日、文科省の指導を受けて両親の自宅に出向き謝罪、第三者委員会を見直すことも明らかにした。

実は教育長が両親に会うのは、昨夜が初めてだった。
父親は「なぜ会ってくれなかったのか。ことがこれだけ進んでから、やっとこうやって出向くのはいかがなものか。」と悲痛な思いを訴えた。
これまで両親は、菜保子さんの尊厳を守るため、公正な調査を訴え続けてきた。
菜保子さんが残した日記などからいじめがあったことが十分疑われるのにもかかわらず、両親にも会わずに調査を進めた教育委は、「いじめはなかった」との結論ありきで調査したとしか思えない。
さらに国が介入すると、「いじめはあった」と結論を一転。その理由さえ明らかにしていない。
ここにきて「自殺したことそのものが重大事態だった」と述べるに至っては、人の死に対する思いが欠如しているとさえ思える。教育者失格である。

いじめ問題に関しては、教育委の判断が問題視されるケースが非常に多い。
そもそも教育委は、地域の子どもたちがよりよく育つために、学校と連携して取り組む組織だ。委員は専門的、政治的に偏らないよう、その地域から多様な人材を幅広く集めている。
筆者も取材で教育委の委員にお会いする機会があるが、自ら職業を持ちながらも、教育をよりよくするために熱心に取り組んでいらっしゃる方が多く、頭が下がる。
教育委員会は意思決定がブラックボックス化し、委員は名誉職…
一方で、委員は選挙で選ばれるのではなく(首長による任命制)、委員会の議論も公開の義務がない。
学校に通う子どもをもつ親たちで、その地域の教育委員会のメンバーを知っている人はほとんどいないだろう。
そのため、教育委員会は意思決定がブラックボックス化し、委員が名誉職のようになって、事なかれ主義に陥るおそれがあることはこれまでも指摘されてきた。
特にいじめ問題については、文科省が「どの学校にもおこるもの」だとして、きちんと把握、報告するよう指導しているのにもかかわらず、学校や教育委にはいまだ「いじめがある学校や地域は問題だ」という意識が強く、「見て見ぬふり」や「いじめ隠し」が横行している。
いじめはどの学校にもおこるもの
取手市教育委の問題は、決して他山の石ではない。
「いじめはどこでもおこる」との意識を教育現場でさらに徹底すること、地域住民が教育委へもっと関心を持つこと、そして教育委の情報公開と組織の透明化が益々必要だ。
ホウドウキョク編「2020教育改革のキモ」では、いじめ問題の現状についても、取り上げている。
ぜひご一読ください。
