東京都渋谷区では2024年4月から全公立小中学校(小学校18校、中学校8校)で、午後の授業すべてを探究学習「シブヤ未来科」にした。それからちょうど1年がたち、この全国初の学びのかたちは、教育現場と子どもたち、そして地域に何をもたらしたのか。

6年生は短編映画を制作

「映画作りをすることは今後簡単にはできないです。皆で協力して楽しくできたのを嬉しく思います」
「台詞を読んだり演技をしたり、プロの俳優にアドバイスをしてもらった。難しかったけど楽しかった」
「プロの裏側を知ることができていい経験になりました」

観光名所として多くの外国人客で賑わう、都内渋谷駅前のスクランブル交差点。そのすぐ近くにあるシネコン「TOHOシネマズ渋谷」で3月14日、渋谷区立猿楽小学校(全校児童297人)の6年生たちが制作した短編映画「冬の向日葵」の上映会と、児童らによる舞台挨拶が行われた。

TOHOシネマズ渋谷で行われた「冬の向日葵」上映会(2025年3月14日)
TOHOシネマズ渋谷で行われた「冬の向日葵」上映会(2025年3月14日)
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渋谷区では2024年度から全公立小中学校で、午後の授業をすべて探究学習「シブヤ未来科」にした。

猿楽小学校では6年生の総合学習のテーマを地元の「代官山から世界へ」と決め、児童が代官山の魅力を発信する映画作りに挑戦。映画のストーリーは、突然消えた担任の先生を探すため、児童たちが代官山の様々なスポットを訪れて謎解きをするミステリー仕立ての展開だ。担任の佐藤拓人先生は「あらすじはすべて子ども発なので、大人にはない発想がありました」と語った。

探究の「キーワードは子ども発」

映画制作には東宝グループやNTTドコモなどの企業が協力したほか、会計や広報などの専門家である保護者も加わった。しかし児童たちはプロの力を借りつつも、脚本づくりから美術、録音、撮影、主演まですべての制作過程を担った。

長谷部区長「子どもたちが自ら考え大人を巻き込んだのが見えて嬉しい」
長谷部区長「子どもたちが自ら考え大人を巻き込んだのが見えて嬉しい」

上映会で映画を観た渋谷区長の長谷部健氏は、「想像以上だなと驚いています。子どもたちが自ら考え大人を巻き込んでいったのが見えて嬉しいですし、自分たちの地元や学校へのプライドにもつながると思います」と語った。また保護者からは、「こういう時間を増やしてくれるのはカリキュラムとしてありがたい」との声もあがった。

猿楽小学校の成田校長(右)「キーワードは子ども発」
猿楽小学校の成田校長(右)「キーワードは子ども発」

猿楽小学校の成田弥生校長は「キーワードは子ども発です」と語る。

「映画制作にはプロが一緒に取り組んでくれましたが、子どもたちが主体的に自分のやりたい役割を選んで映画作りを行い、完成した映画を知ってもらいたいと自分たちで上映館探しやメディアへの連絡、そしてチケットの制作や舞台挨拶まで行いました」

5年生がデザインしたトートバッグ
5年生がデザインしたトートバッグ

猿楽小学校5年生は「代官山の街おこし」をテーマにしたトートバッグを商品開発し、販売まで行った。こちらも企業や店舗、会社経営に関わる保護者たちが協力したが、トートバッグから販売所の看板デザインまで考えたのは児童だった。

探究の学びをPTAが中心となって支える

こうした子どもたちの探究の学びを地域として支えるため、PTAが中心となって2024年に発足したのが一般社団法人シブタンだ。

シブタンではこの1年、学校と地域・企業との連携推進や探究発表会の支援を行ってきた。発起人で代表理事の山田裕介氏は、「シブヤ未来科」のスタート時は渋谷区立小学校PTA連合会の会長をしていた。山田氏によると渋谷区から「シブヤ未来科」の話を初めて聞いたときは、「理事会の多数が極めてネガティブな反応」だったそうだ。

シブタンの山田代表理事「いっそ我々が応援しようとつくった」
シブタンの山田代表理事「いっそ我々が応援しようとつくった」

「午後をすべて探究授業にすると授業の遅れや受験への影響があるのではと多くの理事が考えました。しかしその後何度か説明を受ける中で、日本で活躍する人材を育てるのにはやはり探究の学びが解決策になるだろうと。また今後の大学受験においてもAO入試が半分を超える中でプラスになるのではないかと思い直し、それではいっそ我々が応援しようとつくったのがシブタンです」(山田氏)

子どもたちがワクワクする場をつくる

シブタンは現在、PTA関係者を中心に13人のメンバーで構成されている。地域やNPO、企業のほか、PTAや地域学校協働活動推進員連絡協議会など既存の団体とも連携を深めている。企業との連携の際にはお互いのニーズを探りながらも、山田氏は「学校側のニーズを聞いてそれに企業とマッチングさせるのが非常に大事です。なぜなら企業がやりたい授業は必ずしも教育的にマッチするとはいえないからです」と語る。

探究フェスは2020東京オリパラの舞台で行われた
探究フェスは2020東京オリパラの舞台で行われた

3月12日、2020東京オリパラの舞台にもなった渋谷区の国立代々木競技場第二体育館で、渋谷区立の小中学校すべてが集まりそれぞれの探究学習の成果を発表する「シブヤ未来科探究フェス」が行われた。

会場は若い教育事業者も参加して熱気にあふれた
会場は若い教育事業者も参加して熱気にあふれた

会場は渋谷区の児童生徒や学校関係者、教育事業者などで熱気にあふれ、探究学習のプレゼンテーションだけでなくブース展示や交流セッションが行われたほか、オープニングにはオーケストラの生演奏まであった。

このフェスを教育委員会と共催したのがシブタンだ。山田氏は「各学校で普通の学習発表会としてやるより、フェスと名付けてエンタメ要素も入れて子どもたちがワクワクする場をつくるのが我々の役割じゃないかと考えました」という。シブタンのこうした取り組みは経済産業省「未来の教室」実証事業に採択され、経産省からの支援を受けている。

鉢山中学校の生徒から探究学習の成果プレゼンが行われた
鉢山中学校の生徒から探究学習の成果プレゼンが行われた

学校プレゼンテーションの場で、猿楽小学校は5年生がトートバッグ、6年生が映画制作の発表を行った。また筆者が取材した鉢山中学校は、生徒個人による探究学習、たとえば電車の車両製造やワイヤレス給電、管楽器の基礎練習に関する報告を行った。

鉢山中学校は理数教育重点校だ(写真は探究学習)
鉢山中学校は理数教育重点校だ(写真は探究学習)

理数教育重点校である鉢山中学校は、「数学の授業ではプログラミングの学習に力を入れていて、連携先にはミクシィやスタートアップ企業がいます。企業訪問をした生徒たちはインスパイアされて帰ってきますね」(菱田千晶副校長:肩書は取材当時)という。

“子どもの本気”が地域と教員も本気に

こうした企業や地域の学校への連携・協力について山田氏は「海外では公共建築物の建設費の1%を芸術作品に充てる制度(=1% for Art)がありますが、日本でも企業のサステナビリティ活動費の1%は公教育に使うような動きが生まれればいいと思います。私たちは企業連携の動きを渋谷区だけに使うのではなく日本全国に共有できたらいいなと思っています」という。

伊藤教育長「未来に求められる3つの資質と能力とは」
伊藤教育長「未来に求められる3つの資質と能力とは」

「シブヤ未来科」がこれから目指すビジョンは何なのか。2024年4月に文科省から教育長に就任した伊藤林太郎氏はこう語る。

「シブヤ未来科が目標とする『未来に求められる資質と能力』は3つです。1つが自ら考え判断して学び続ける自己調整力、そして仲間と協働しながら新しい価値を生み出す創造力、3つめは自分がやりたいことを実現しようとする挑戦力です。この資質と能力を身につけるために、児童生徒が自分の学校や地域コミュニティの課題を考え、自分たちで学校や地域をつくっていくことを目指しています」

「子どもの本気が地域の大人も本気にさせる」
「子どもの本気が地域の大人も本気にさせる」

午後すべての授業を探究学習にした「シブヤ未来科」は、いよいよ2年目を迎える。猿楽小学校の成田校長はこの1年を振り返って「学校全体で子どもたちが挨拶をできたり時間を守れるようになったり相手意識が育っているのを感じます」と語る。

「どの学校に聞いても子どもが午後を楽しみにしていて、長期的には学びに取り組めていなかった子どもたちにプラスに働く、学校が楽しいと思える場になるという効果があると思います。子どもたちが一生懸命本気で何かに取り組むようになってくると、教員も努力してきて前向きな好循環ができてきますし、子どもの本気が地域の大人も本気にさせています」

2025年度も渋谷区の公立小中学校から目が離せない。
(フジテレビ報道局解説委員 鈴木款)

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。