福田氏が総理時代に激怒した逸話
確かに福田氏には、飄々としながらも国民の目線を意識した場面が節目節目で見受けられた。
例えば官房長官時代のBSE(牛海綿状脳症)の影響による米国産牛肉の輸入禁止問題では、福田氏は米共和党の重鎮であり信頼関係を築いていたベーカー駐日大使と頻繁に会談を重ね、ベーカー大使からは、科学的根拠を楯に米国産牛肉の輸入を解禁するよう強く求められた。
しかし福田氏は、日本国民が食の安全に極めて敏感であることを丁寧に説明し、アメリカの圧力をはねのけた。
私は、当時、福田氏に、フジテレビの夕方の「スーパーニュース」に生出演するよう、本人に依頼を続け、福田氏からは「生体反応なし」などと相手にされない時期が長かったが、北朝鮮情勢や、このBSE問題などの節目では、突然、「じゃあ出るか」と出演をOKし、番組を通じて国民に語りかけた。BSE問題では牛丼の丼を横に、食の安全についての取り組みを説明した。

そうした姿勢の延長線上に、福田氏が総理大臣として道筋をつけた、消費者目線で政策を進めるための消費者庁の新設や、正しい記録に基づいた民主主義政治のための公文書管理法の制定があったのだろう。
また、葬儀の中で達夫氏が紹介した康夫氏の総理大臣時代のエピソードとして、薬害肝炎問題で被害者救済に舵を切ろうとした康夫総理が、難色を示した官僚に対して「局面は変わったんだ。人の命を何だと思っているのか」と激怒し、救済方針を貫いた逸話があった。
国民目線の姿勢に加え、訴訟の動向や患者の訴えも踏まえ、異例の救済こそが「現実的」になったと判断したのだろう。
外交で貫いた現実主義とイラク戦争 「親米でも親中でもなく親日」
福田氏のこうした「現実主義」が色濃く表れていたのが、外交だったと感じる。官房長官時代の福田氏について記憶に残っているのが、イラク戦争の際の国際協調をめぐる米英と仏独の狭間での日本の立ち位置の議論だ。
2003年、アメリカのブッシュ政権がイラクのフセイン政権の大量破壊兵器保有疑惑(最終的に保有は証明されず)を理由にイラクを攻撃する戦争準備を進める中、開戦派の米英と、これに反対する仏独の対立が深刻化していた。当時の日本の世論もイラク戦争反対に傾いていた。
この頃、福田氏は記者団との懇談の中で、アメリカを基本的に支持し、戦争を避けるためにもフランスとドイツは、アメリカと一致してイラクにプレッシャーをかけるべきだと力説していた。
そして記者団の中から、“平和国家として、日本はアメリカの戦争を支持すべきではない”という意見が出たのに対し、福田氏はいら立ちを露わに「そんなことを言っても、日本はアメリカと共にやっていくしかないんだ。アメリカと対立して日本の平和をどう守れるのか。日本は反対してもアメリカの立場は変わらない。それよりも、フランスも巻き込んでイラクに圧力をかけて、フセインをバンザイさせる(国際社会の要求をのませる)しか戦争を避ける道はないんだ」と声を荒らげた。
戦争に否定的な福田氏だが、日本の安全保障を維持しつつ、イラク戦争回避を探る上での、当時の「現実的思考」だったのだと思う。
このように、福田氏は中国との深い関係がクローズアップされがちだが、アメリカともパイプを築き、日米同盟基軸の重要性を強く認識している政治家だった。福田氏本人は自身について「親米でも親中でもない。親日だ」と語っていたという。

その小泉―福田体制で、米ブッシュ政権の頭ごなしともいえる形で実現させた外交が、小泉総理による北朝鮮訪問、金正日総書記との間での日朝平壌宣言の調印だった。
小泉氏の訪朝発表の直後、福田氏は記者団に対し、興奮を隠さず、「これが成功すれば、日本の平和外交の勝利なんだ。小泉さんに惚れ直した」と声を震わせながら意義を語った。

そして、日朝平壌宣言が発表され、日朝国交正常化の道が開けたかに見えたが、金正日氏が謝罪した上で明らかにしてきた拉致被害者についての情報は、「5人生存・8人死亡」という厳しいものだった。
福田氏は、その結果を拉致被害者家族に伝えるという極めて難しい役目を負うことになったが、その後の対応を含め、北朝鮮との交渉継続と拉致被害者を守る姿勢の2つの「現実」の狭間で、福田氏はじめ政府が難しい判断を迫られたのは、外交と世論の難しさを物語るものだった。

