福田康夫元総理大臣が10月22日、90歳で亡くなり、30日、東京・青山葬儀所で告別式が営まれた。式には高市総理はじめ、多くの政界関係者が参列し、福田氏との別れを惜しんだ。
喪主を務めた長男の福田達夫衆院議員は、参列者へのあいさつの中で、康夫氏は亡くなる直前まで縁の下での政治・外交活動に取り組むなど元気で、年末にかけても外国関係者との面会など様々な日程が入っていただけに「もっと色々やりたかったはずだ」と、康夫氏の無念に思いを馳せつつ、それでも幸せな人生だったとその歩みを振り返った。
小泉官邸の写真に見えた福田氏らしさ
式場手前のスペースには、福田氏を支え続けた夫人との写真などと並んで、小泉内閣の官房長官時代に、当時の小泉総理・福田官房長官。安倍晋三官房副長官、上野公成官房副長官の4人が手を合わせた写真が飾られていた。
小泉官邸の初期メンバーなのだが、立ち位置に違和感を覚えた。
一般的には小泉総理と福田長官が真ん中で、両サイドを副長官が固めるのが自然だ。しかし福田長官は右端に立ち、左から、安倍副長官、上野副長官、小泉総理、福田長官という構図だったのだ。おそらく福田氏が真ん中に立つことを遠慮したのだろう。
福田氏の自ら目立つことをよしとしない人柄が垣間見える写真だった。
福田氏といえば、初の親子二代での総理大臣、中国との対話に力を入れた政治家、そして総理退任会見での「あなたとは違うんです」発言がクローズアップされることが多いが、官房長官時代を取材した私個人としては、それらはあくまで福田氏の部分的一面だと感じる。
福田氏の政治家としての姿勢を私なりに振り返ると、「徹底した現実主義」と「記者会見での軽妙なやりとり」に象徴されると感じている。
記者会見での軽妙なやりとりの数々
福田氏は2000年に森内閣の途中で官房長官に就任した。当選4回という浅い議員キャリアでの要職起用だったが、森総理は当選11回と永田町でははるかに先輩ながら、年齢や早大では福田氏が1つ上という特殊な関係もあり、記者会見で森総理に対し異例の苦言を呈する発言が注目を浴びた。
そうした特別な存在感と毛並みの良さも背景に、永田町でも一目置かれる存在になると、福田氏の記者会見での発言の軽妙さは増していった。
森内閣の後を受けた小泉内閣でも官房長官を続投した時代には、田中眞紀子外務大臣との関係も注目された。お互いの父の代では角福戦争と言われた両家だが、当初は福田長官が眞紀子大臣を手助け、助言するなど、良好な関係もあった。
しかし眞紀子大臣が外務官僚と険悪な関係になると、外務官僚が以前からパイプの太かった福田長官を頼る場面が増え、福田長官が外交を官邸から統括する形になった結果「影の外務大臣」とも呼ばれるようになり、徐々に緊張関係になっていった。
ある日、眞紀子大臣が「(小泉総理の)取り巻きが悪い」と発言したことについて会見で問われると、福田氏は「“とりまき”って私のこと?」ととぼけ、記者が「断定はしていないが文脈からすると…」と突っ込むと、「厳密に聞いといてください」と煙に巻いたやりとりも話題となった。

