関東大震災で陣頭指揮を執った晩年
和も60歳を過ぎ、看護婦の第一線を退いていた。しかし、盟友の鈴木雅の後を引き継いで看護婦会を運営し、また、慈善活動などでも忙しく動きまわる。「ああ、忙しい」が生涯の口癖だった。
大正12年(1923)に関東大震災が発生した時、和は飯田町(現在の千代田区飯田橋)の自宅で被災した。
この頃は持病のリウマチが悪化して杖がなくては歩行困難な状態だったが、
「さあ、行きますよ!」
激震に怯えて腰を抜かしていた弟子の若い看護婦たちを叱咤して、さっと立ち上がると杖も持たずスタスタと歩きだす。救護所の設置を陣頭指揮して、怪我人の救護や治療をおこなった。
それが、看護婦・大関和としての最後の勇姿だった。10年後の昭和7年(1932)5月22日、和は弟子や支援者たちに看取られて息を引き取っている。享年73。
苦しむ人々に寄り添い、彼らのために奔走しつづけた人生。純粋すぎるがゆえ、独善や視野狭窄に陥り色々やらかした。が…その欠点も彼女の愛すべきチャームポイント。カリスマを形成している大きな要素のひとつだ。
そして、和のカリスマ性が日本にトレインド・ナースを普及させるのには大いに役立った。賤業と見なされていた職業のイメージを払拭し、看護婦が医療現場に欠かせぬ専門職のひとつであることを知らしめる。彼女のインパクトの強いキャラクターにより、その達成が早められたのは間違いない。
青山 誠(あおやま・まこと)
作家。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。近著に、『大関和 看護に人生を捧げた日本のナイチンゲール』『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』(ともにKADOKAWA)。

