2026年度前期朝ドラ『風、薫る』の主人公のモデルとなった大関和(チカ)はどんな人物?近・現代歴史作家の青山誠さんが考察する(第5回)。帝国大学医科大学附属第一医院を退職し、新潟・高田で高田女学校の生徒取締役となった和だが、縁あって再び看護師に復帰。コレラなどの感染症と闘い、看護婦の地位向上に貢献。60歳を超えてなお慈善活動に奔走。関東大震災の救護活動でも陣頭指揮を執った超パワフルな晩年とは。
文・写真=青山誠
高田で再び看護婦に
明治24年(1891)11月、高田に来てから1年が過ぎた頃のこと。高田城の濠端を散歩していた時に「大関さん!」と声をかけられ振り返ると、見覚えのある顔がそこにいた。帝国大学医科大学附属第一病院で一緒に働いた外科医の瀬尾原始である。権威主義の医師たちとは違って、看護婦の意見にも耳を傾ける好人物。和も彼には好感を抱いていた。
瀬尾は高田の出身で、実家の知命堂病院を継ぐために帰郷してきたと言う。いまは病院の拡張工事をおこなっている最中で、完成すれば上越地方の医療の拠点として機能するという。
「だから、大関さんもうちの病院で働いてください」
と、和の近況を聞いた瀬尾は熱心にオファーしてくる。トレインド・ナースの必要性をよく理解している彼にとっては、喉から手がでるほど欲しい人材だ。
また、瀬尾との偶然の再会は、和にとっても人生の大きな転機に。自分が本当にやりたかったことを思い出す。キリスト教徒的に言うと「神の啓示」か。すぐに学校へ行って校長に退職願を出して、仕事の引き継ぎを大急ぎで済ませて病院に移ってきたという。やると決めたら躊躇せずに即行動。和のそんなところにも、瀬尾は期待していたようだった。
自由と共に蔓延し始めた伝染病
国内での往来が自由になった維新後は、伝染病の流行も頻発する。明治10年代にはコレラ、明治20年代は毎年夏に各地で赤痢が大流行した。地域医療の中心である知命堂病院は、伝染病対策でも大きな役割を担っていた。患者が発生すれば、現地に医師や看護婦を派遣して治療や感染防止の措置をおこなう。看護長に就任した和も、復帰早々から伝染病との戦いに明け暮れるようになる。

