かつて彼は、ノルウェー王室の“愛すべき象徴”だった。
金髪に澄んだ青い瞳。母メッテ・マリット皇太子妃に手を引かれ、王室行事に姿を見せる幼い少年を、ノルウェー国民は「リトル・マリウス」と呼び、温かいまなざしで見守ってきた。
王位継承権はない。それでも、シングルマザーだった女性が皇太子妃となり、その息子も家族として受け入れられた姿は、ノルウェーの開かれた君主制を象徴していた。
王室危機を長引かせる控訴
だが、その少年の物語はいま、まったく別の意味を帯びている。
皇太子妃の長男、マリウス・ボルグ・ホイビー被告は、性犯罪や元交際相手への暴力など34件で禁錮4年の実刑判決を受けた。
判決後、マリウス被告は無罪を主張して控訴。一方、検察側も量刑が軽すぎるとして控訴した。
ノルウェー国営放送NRKの王室記者クリスティ・マリー・スクレーデ氏は、控訴について「王室にとっての危機を長引かせる」と見る。判決で一つの区切りがつくはずだった問題は、2027年以降も続く。
しかも、その判決とほぼ同じ時期、王室はもう一つの危機に直面していた。
母メッテ・マリット皇太子妃の命に関わる問題である。皇太子妃は深刻な肺疾患により、肺移植を受けた。
スクレーデ氏は、皇太子妃について「本当に命の危機にあった」と語る。
事態の深刻さを示すように、当時日本を訪れていたホーコン皇太子は予定を切り上げ、帰国を早めた。
ノルウェー国内では、マリウス被告の裁判以上に、彼女の容体が大きな関心を集めた。
母は生死の境に立ち、息子は有罪判決を受けた。王室にとって、これほど過酷な時間はなかっただろう。
「ノルウェーで最も嫌われている男」
裁判で明らかになったのは、単なる王室スキャンダルではない。そこには、薬物やアルコールを伴うパーティー生活、荒れた人間関係、激しい性生活、そして互いを傷つけ合う20代の若者たちとマリウス被告の姿があった。

マリウス被告本人も、自らの人生について語った。王室の中で育ちながら、王子ではない。
家族の一員でありながら、公的な役割はない。それでもメディアの視線だけは、幼いころから絶えず注がれてきた。
報道の重圧、自分の立場への葛藤、そして「母の息子」であること以外に自分は何者なのかという問い。そうしたものが、彼の人生に影を落としてきた。
マリウス被告は、自分を「ノルウェーで最も嫌われている男」「王国で最悪の人間のように感じる」と語ったという。
かつて、ノルウェー社会の寛容さと、現代的な王室のあり方を示す存在だったマリウス被告について、いま人々はどうみているのか。
スクレーデ氏は「私たちは彼の人生について、彼自身について、より多くを知っています。私は彼を、成長過程で問題を抱えた若い男性の象徴だと思います。多くの若者は成長する中で問題を抱えます。そして自分の道を見つけられないと、こうしたことになり得るのです。私は、彼がそれ以外の何かの象徴だとは思いません」と語る。
拘留中も闘病中も、訪ね続けた母と息子
裁判でどれほど深刻な証言が語られ、有罪判決が下されても、王室一家が彼に背を向けることはない――スクレーデ氏は、そう見ている。
その言葉に現実味を与える場面が、裁判の裏側であった。母メッテ・マリット皇太子妃とマリウス被告の面会である。
マリウス被告が拘留されていた間、皇太子妃はほぼ毎週1回、彼に会うため刑務所を訪れていたという。
さらに驚かされるのは、皇太子妃自身が命に関わる病状にあった時期のことだ。肺移植を受ける前、彼女の容体は極めて深刻だった。
その母に会うため、今度はマリウス被告が警察や刑務所関係者に付き添われ、病院や王室公邸を訪れていたという。
ノルウェー王室を襲った二つの危機は、華やかな君主制の奥にある、家族の痛みと責任を浮かび上がらせている。王室とは、完璧な人々の集まりではない。国民の前に立ち続ける一つの家族であり、その姿は時に、社会の矛盾や若者の孤独も映し出す。
二つの危機が重なったいま、ノルウェー王室は、家族として、そして公的存在として、その姿勢が改めて問われている。
【執筆:FNNロンドン支局長 髙島泰明】

