サッカーのワールドカップ北中米大会で、日本代表は3大会連続の決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント初戦の相手は、強豪ブラジル。今だからこそ、2002年に日本で行われたワールドカップ日韓大会の盛り上がりを振り返り、あの時の熱い魂を乗せて日本代表にエールを送りたい!

今から24年前の2002年。日本中が、そして宮崎が、これほどまでに一つのボールに一喜一憂した日々があったでしょうか。アジア初開催となったFIFAワールドカップ日韓大会。当時、宮崎の街はどこを見渡しても「ジャパンブルー」に染まり、見知らぬ人同士が手を取り合って歓喜していました。また宮崎は、ベスト16に入ったスウェーデン、さらには準優勝したドイツのベースキャンプ地となっていて、宮崎のサッカー文化の礎となりました。今回は、日本代表の快進撃に沸いた2002年6月のアーカイブ映像(2002年6月4日、14日、18日放送)を振り返ります。

アジア初開催!高まった「サッカー熱」

2002年当時の日本は、バブル崩壊後の長い不況の中にありました。そんな閉塞感を吹き飛ばすかのように訪れたのが、サッカーの祭典です。宮崎は、大会直前の5月からスウェーデンとドイツがベースキャンプのために来県し、サッカー熱が一気に高まりました。そして大会が始まると、その熱量は想像を絶するものでした。

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榎木田朱美アナ(当時)
こちらのスポーツ用品店でも、ワールドカップ一色です。中でも人気なのがこちら、私が着ています、日本代表のオフィシャルユニフォームです。

こちらのスポーツショップではワールドカップにあわせて2ヶ月前からコーナーを設けていましたが、特に日本代表のものは売れ行き好調で、人気選手のユニフォームは開幕前にほとんど売り切れの状態でした。

スポーツショップの店員:
かなりお客様もたくさん来られていて、問い合わせも多くなっています。中田英寿選手や中山雅史選手のユニフォームについて問い合わせが多いです。

特に、ゴン中山選手のユニフォームについては、メンバー入りが決まった瞬間から問い合わせが殺到したそうです。

CDショップもW杯に沸いた

いっぽう、CDショップでもワールドカップ関連の売れ行きが好調でした。ワールドカップ公式アルバムは、発売以来、大会が近づくにつれて売れ行き好調に。

この店では、日本戦のある日は商品袋の色をジャパンカラーの青にしたり、日本が勝てばカードのポイントを2倍にするなど、店をあげてワールドカップを応援していました。

 そして試合当日ともなれば、宮崎市の一番街をはじめ、県内各地の公共施設や職場、学校までもが「応援会場」へと姿を変えました。それは単なるブームを超え、社会現象として宮崎の隅々にまで浸透していました。

史上初の決勝トーナメント進出!

日本代表はベルギー、ロシア、チュニジアと同じ組となり、初戦のベルギー戦は2対2の引き分け。続くロシア戦では1対0で、ワールドカップ初勝利。そして3試合目でグループリーグ突破をかけて、チュニジアとの対戦に臨みました。

榎木田朱美アナ:
宮崎市の一番街です。大型モニターの前には、多くのファンが詰めかけました。決勝トーナメント進出をかけた戦い、いよいよキックオフです。

決勝トーナメント進出をかけてのチュニジア戦。平日の午後にもかかわらず、100人近い市民が集まり声を一つにして声援を送りました。立ち上がり早々、攻め続ける日本に対し、早くも応援ムードは最高潮です。県内ではスポーツバーで、市役所で、日本代表への声援が響き渡りました。

0対0で前半を終えた両チームですが、後半に入るとすぐ、日本は森島が待望の先制ゴール。さらに中田英寿が追加点!日本が2対0でチュニジアを破り、日本サッカー史上初の決勝トーナメント進出を決めました。

地元の新聞社は号外を発行し、日本代表の歴史的な快挙をいち早く伝えました。

銀行の窓口までも「ジャパンブルー」

6月18日は、初めての決勝トーナメント。相手はトルコでした。

榎木田朱美アナ:
宮崎銀行本店に来ています。ワールドカップサッカー、決勝トーナメントで盛り上がりを見せる中、なんとこちらでは、ジャパンブルーに身を包んで業務に当たっています。

街角、学校、職場……宮崎じゅうが、そして日本中がベスト8進出を願って声を枯らしました。しかし、結果は0対1。日本は敗れましたが、歴史に残る大会は、日本人に「サッカー熱」を強く、深く、刻み込みました。

 榎木田社長の回想: 日本中がひとつになった

当時は「ジャパンブルー」というキーワードで世の中が盛り上がり、みんなが一つになっていきました。私はサッカー関連ネタを探し回って、とにかくワールドカップの盛り上がりに合わせて世の中がどう動いていくのかを毎日追いかけ回って、取材して、原稿を書いていました。取材を続けるごとに、県民の盛り上がりが加速していくのをすごく感じました。まさか銀行のカウンター業務までジャパンブルーを着ていらっしゃるとは…。そして私も何回、ジャパンブルーのユニフォームを着てリポートしたことか…。

当時と今の違いは、「日本がもう強い」という前提で、さらに「もしかしたら世界一になるんじゃないか」というような盛り上がり方だと思います。あの頃は、日本が「これから強くなる」、もしくは「こんなに強くなるなんて」という驚きがどんどん加速してムーブメントになっていた。あんな盛り上がり方は、あの時ならではだったのかもしれません。

サッカーでスター選手がどんどん生まれていくのがすごく面白くて、ゴン中山選手はキャラクター強めなのが人気で、インタビューも面白くて、ユニフォームも激売れしてました。今、解説などで各局を駆け回っている姿を見ると、改めて時は流れたなぁって思いますが、時代を超えて「サッカー愛」で繋がっている感じがします。

一番街のパブリックビューイングには沢山の方が集まってきて、ユニフォーム以外にも色々アイデアを凝らして、「日本をみんなで応援するぞ」という熱量がありました。あの頃はパブリックビューイング自体がなかったので、これだけ盛り上がるんだなっていう「大熱狂」を肌で感じましたね。

強豪チームが宮崎でキャンプ

2002年の日韓W杯、宮崎ではドイツとスウェーデンがキャンプをしました。ワールドカップを通してヨーロッパがこれだけ強いということを、私みたいなサッカー初心者も学べたのですが、そんな強豪チームが宮崎でキャンプをすることが印象的で、見に行きましたし、取材にも行きました。皆さん、宮崎のキャンプを非常に満足されて帰っていきました。あと、選手がイケメン揃いで興奮したことを覚えています。笑笑

宮崎の子供たちが世界の技を目にする、とても貴重な機会でもあったし、そこから宮崎のサッカーもどんどん、特に中高生のサッカーが本当に強くなっていった印象があります。この11年後、鵬翔高校が全国高校サッカーで全国制覇を成し遂げたんですよね。「スポーツランドの恩恵を受けた」という印象があります。

そして現在はテゲバジャーロ宮崎とヴィアマテラス宮崎。本当に結果を出すチームが宮崎から生まれているという誇らしさみたいなものが、ファンダムをどんどん大きくしていると思いますし、結果が出せない頃から応援してくれていたというファンへの思いというものが、チームとつながっているんだろうなと思います。これからどんどんどん大きな舞台に羽ばたいていってほしいですね。

我々UMKテレビ宮崎は、チームの思いや選手の思いを県民の皆さんにしっかりお届することが役目だと思っているので、サッカー番組「キックオフMIYAZAKI」などを通じて、お伝えしていけるといいと思っています。

ブラジル戦、勝ちますよ!

30日のブラジル戦、もうこれは勝ちますよ。今の日本は尋常じゃないくらい強いと思います。もちろんブラジルは最強で、レジェンドたちとサッカーをするわけなんで、私だったらネイマールを見るだけで卒倒するかもしれませんけど、でもやっぱりワンチャンスあるんじゃないかなと私は思っています。チーム力で、今の勢いで、今の心持ちで勝ってほしいと思います。頑張れ日本!

(テレビ宮崎 アーカイブ企画班)

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