経済的威圧とは
国際社会において「経済的威圧」という言葉が日常的に飛び交うようになった。
そもそも経済的威圧とは、国家が自国の政治的、外交的、あるいは安全保障上の目的を達成するために、他国に対して貿易制限や投資規制といった経済的な手段を用いて人為的に圧力をかける行為を指す。
具体的には、特定の国からの輸入品に対する不当な関税の引き上げ、重要物資の輸出規制、意図的で不透明な通関の遅延、あるいは自国企業への行政指導を通じた取引の制限などが含まれる。
重大な主権への干渉
本来、国際貿易は世界貿易機関(WTO)などの国際的なルールの下で、自由かつ公正に行われるべきものである。
しかし、経済的威圧は武力行使に至らないグレーゾーンの手段として、相手国の経済的脆弱性や自国市場への依存度を意図的に突く。これにより、相手国に政策の変更や特定の政治的譲歩を強要するのだ。
これは単なる貿易摩擦の範疇を大きく超え、他国の主権に対する重大な干渉となり得るため、今日の経済安全保障における最大の脅威の一つとして認識されている。
中国による経済的威圧
近年、この経済的威圧の典型例として国際社会で広く認知されているのが、中国による一連の対外的な経済措置である。
象徴的な事例の一つが、2010年に起きた尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件に際して取られた措置である。当時、中国は事実上の対抗措置として、ハイテク産業に不可欠なレアアース(希土類)の日本への輸出を突如として制限した。
これは、政治的・領土的な対立を、経済的な供給網の遮断という形で報復した初期の顕著な例であり、世界各国にサプライチェーンにおける特定国への過度な依存の危うさを痛感させた。
オーストラリアや台湾にも牙をむいた中国
また、2020年にはオーストラリアに対する大規模な経済的圧力が表面化した。
オーストラリア政府が新型コロナウイルスの発生源に関する独立した国際的な真相究明を求めたことに対し、中国はこれを内政干渉とみなして猛反発した。
そして、オーストラリア産の牛肉、大麦、ワイン、石炭などの輸入に対して高額な追加関税を課す、あるいは輸入を事実上停止するといった多岐にわたる報復措置を発動した。
さらに、2021年には台湾に対する圧力として、台湾産パイナップルの輸入を害虫の検出という名目で突如禁止した。これも、台湾の当時の政権に対する政治的な揺さぶりを目的とした経済的威圧の一環であると広く見なされている。
中国だけじゃない
これらの事例の蓄積により、今日の世界においては「経済的威圧=中国特有の不公正な振る舞い」というような、暗黙の了解が形成されているように映る。
各国の政策担当者やメディアも、無意識のうちに中国に焦点を置いてこの概念を捉える風潮が強い。しかし、ここで一つの重要な問題点を提起しなければならない。それは、特定の国にのみ視線を奪われ、他国による類似のケースを見逃してはならないという点である。
トランプ関税に“経済的威圧”要素
とりわけ注視すべきは、アメリカのトランプ政権による一連の保護主義的な政策である。
例えば、「トランプ関税」と総称される数々の関税措置や制裁の脅威は、経済的威圧の要素を色濃く含んでいる。
不法移民対策という政治的・国内的な目的を達成するために、隣国メキシコに対して関税の引き上げをちらつかせて国境管理の厳格化を迫った事例は、まさに経済力を政治的要請の武器とした典型である。
また、安全保障上の脅威を理由とする通商拡大法232条を盾にして、同盟国を含む各国に鉄鋼・アルミニウムへの追加関税を課した事例も記憶に新しい。
さらに、自国の要求に応じない国や企業に対して、巨大な米国市場へのアクセス制限や二次的制裁を突きつけて政策変更を強いる手法も、相手国の経済的依存を逆手に取るという意味において、構造的には経済的威圧と変わるものではない。
経済的威圧は中国の専売特許ではない
巨大な市場や通貨の覇権といった経済的な優位性を背景にして、他国に政治的譲歩を迫るという本質において、対象が中国であろうと米国であろうと、またその動機が国家安全保障の確保であろうと国内政治向けのアピールであろうと、経済的威圧としての構造は共通している。
したがって、経済的威圧を中国だけの専売特許のように扱うことは、この概念自体の「政治化」を招く危険性を孕んでいる。
特定の国を非難するための単なる政治的なレッテルとしてこの言葉を使ってしまえば、国際社会全体で共有すべき公正な経済ルールの構築といった本質的な議論が遠のいてしまう。
“経済的威圧はNG”の国際規範を
ルールに基づく自由で開かれた国際経済秩序を維持・強化するためには、経済的威圧という行為を特定の国家と結びつけて断罪するのではなく、行為そのものの違法性やルール違反の度合いを客観的な基準で評価する必要がある。
中国の不透明な振る舞いに対して厳しい目を向けることは当然の前提としつつも、アメリカを含むあらゆる大国の政策に対しても、等しく同じ普遍的な基準を適用する冷静な視座が不可欠である。
経済的威圧の政治化を回避し、「どの国が行おうとも経済的威圧は許されない」という国際規範を確立することこそが、分断が深まる現代の国際社会に課せられた喫緊の課題である。
【執筆:株式会社Strategic Intelligence代表取締役社長CEO 和田大樹】
