その高い需要に比べて、この頃の日本では英語を話せる者はごく限られている。翻訳者や通訳は超売り手市場。英語のスキルは女の不利を補って余りある強い武器になる…あちこちから高給で仕事のオファーがあるだろう。と、和は皮算用していた。

英語学校でキリスト教と出会う

そのためには、もっと本格的に英語を学ぶ必要がある。そう考えて英語学校に入ることにする。

当時の東京にはキリスト教会が主催する英語学校が増えていた。明治6年(1873)にキリスト教の禁教は解かれたが、いまだ邪教のイメージが根強く、普通に布教活動をしたのでは警戒されて上手くいかない。そこで英語学校を設立して、英語の授業を通じてキリスト教の教えを日本人に伝えようとした。欧化政策を推し進める政府も外国語学習を推奨しており、英語語学ならば認可がすぐに下りた。

植村正久が創立以来38年間牧師を務めた東京・千代田区の富士見町教会(筆者撮影)
植村正久が創立以来38年間牧師を務めた東京・千代田区の富士見町教会(筆者撮影)

和が英語を学んだ「正美英語塾」もキリスト教会との関係が深い。塾の主催者である植村正度は、“日本プロテスタントの父”と呼ばれた植村正久牧師の実弟。

植村牧師も学校をよく訪れて生徒たちに神の教えを説き、また、英語のテキストにも聖書が使われていた。和の英語力が向上するのにあわせて、キリスト教の教えに感化されるようになる。このように、和は最初、東京で通訳を目指していたのだが、このキリスト教との出会いが和を看護の道に導いていくのだった。

青山 誠(あおやま・まこと)
作家。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。近著に、『大関和 看護に人生を捧げた日本のナイチンゲール』『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』(ともにKADOKAWA)。

青山誠
青山誠

作家。大阪芸術大学卒業。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。著書に『ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学』(彩図社)、『牧野富太郎~雑草という草はない~日本植物学の父』、『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』、 『やなせたかし 子どもたちを魅了する永遠のヒーローの生みの親』、『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』(以上KADOKAWA)などがある。