“五軒町”の名称は江戸時代に5つの大名屋敷が建っていたことに由来し、その北西の一角にはかつて黒羽藩大関家上屋敷があった。黒羽藩邸も桑畑になっていたが、敷地の一部は維新後も大関家が所有し、上京してきた旧藩士やゆかりの者たちを住まわせていた。
近年は新参者が増え、桑畑の中に次々と真新しい家が建つようになっている。畑の間に通っていた細い畦道は、家々が軒を連ねる路地になってゆく。資産のある者は何軒もの家を所有して、借家経営を始めるようになる。和が住んだのも、そうした同郷者が経営する借家だったようである。
隣近所は同郷者の知った顔ばかり。みんな平坦なアクセントと濁音の多い北関東特有の訛りのある言葉を喋るものだから、まだ黒羽にいるように錯覚してしまう。先に上京してきた者は、後から来た者に東京の暮らし方を教え、仕事の世話をしてくれたりもする。和もそんな同郷者の先輩たちに助けられながら、東京の暮らしに馴染んでいった。
セレブ女子の漢字ブームに乗って改名
じつは「和」の名前が漢字になったのは上京後のことで、黒羽にいた頃はカタカナの「チカ」を使っていた。母の哲も「テツ」で、妹の釛は「コク」だったが、みんな上京後は和にならって漢字名に改めている。
明治時代後期頃になると、世間でも女子の名前に漢字表記が流行るのだが、それには時代が少し早い。この頃はまだ、女性の名には「ウメ」「カメ」といったカタカナ二文字を使うのが圧倒的に多く、庶民だと漢字名はまず見かけない。しかし、貴族や大名の女性たちは、それよりも遥か昔から名前に漢字を用いてきた。
