岩手県の南東部に位置する住田町は、町の総面積の約90%が森林が占める自然豊かな地域で、その中央には「気仙川」が流れ、豊かな水と緑に囲まれた地域だ。江戸時代に宿場町として栄えたこの地域に伝わる地名の由来を探る。

長年にわたり岩手県内の地名を調べている宍戸敦さんは次のように説明する。

宍戸敦さん
「住田町は昭和30年(1955年)、上有住村・下有住村・世田米町が合併して誕生した。地名は合成地名で、有住の『住』・世田米の『田』の文字を使って住田町という町名にした。最初は、気仙川の旧名である鳴瀬川から『鳴瀬町』という町名案が出されていた。議会が鳴瀬という字は難しいと判断し急遽決定したのが、合成地名である『住田町』だった」

世田米は内陸部と沿岸部を結ぶ中継地点として発展した地域で、街道沿いに町家を並べ、それぞれの後ろに土蔵を建てるようになったと言われている。

宍戸さんによると、地名「世田米」については複数の説があるという。

「金田一京助(言語学者)が本の中で、世田米はアイヌ語の地名だと述べている。アイヌ語で『セタ(犬)・オマ・イ』つまり『犬がいるところ』と解釈がされている。世田米に犬頭山(いぬがしらやま)があることからアイヌ語だと述べられているが、犬が世田米とどういう関係があるのか判明していない」と説明する。

一方で、宍戸さんは地形に由来する説にも注目していて、「世田米の由来は地形から来たものと考える。一つは「せ・た」で狭い土地の前の場所、「せ」は川の瀬の意味で気仙川の川の瀬の前の土地の場所と考える」と話す。

世田米には線路が通っていないにもかかわらず、「世田米駅」という地名が残されている。

宍戸さんは「駅と言っても現在の電車の駅という意味ではない。江戸時代の駅は『宿駅』と呼ばれ、馬を常駐させる場所という意味、人や物資の移動を担う場所でした。その名残として、世田米駅という地名で残っている」

かつて交通の要衝だった世田米の役割を地名が今に伝えている。

その名を冠した施設が「まちや世田米駅」だ。管理する一般社団法人SUMICAの植田敦代さんは、建物の歴史をこう語る。

植田敦代さん
「100年以上前からある古民家を改修したコミュニティースペース。様々な事業を行っていた人が住んでいた住宅で、銀行・米の販売・養蚕といった形で、ここの住宅は使われていた」

「まちや世田米駅」はOPENから2026年で10年になる。
植田さんは「世田米に、にぎわいを創出するという目的で建てられた。ここを(世田米に来る)目的にしてもらったり、沿岸ー内陸を行き来する際に立ち寄ってもらえるような開かれた場所になればいい」と話す。

古民家や蔵が立ち並び、宿場町の面影を色濃く残す住田町世田米は、昔ながらの景観と歴史を大切にしながら、新たなにぎわいを生みだそうとしている。

岩手めんこいテレビ
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