笑いで場を和ませながら、厳しい現場と向き合い続けた警察官がいる。42年の警察人生に幕を下ろした久慈警察署長・後藤俊生さん。名物警察官として親しまれたユーモアの裏には、東日本大震災の記憶と、次世代へ託したい強い思いがあった。
拍手に包まれた定年の日
2026年3月31日、岩手県警本部7階の大会議室では、退職する警察職員の辞令交付式が執り行われた。
退職する28人のうち26人が出席し、県警の幹部らが長年の職務に対する功績を称えた。
式が終わり、退職者一人一人が後輩たちに見送られる中、ひと際大きな拍手で送り出されていたのが、定年で退職する後藤俊生さん(60)だった。
後藤さんはこの日、「長いようで短い、短いようで長い、非常に貴重な経験をさせていただいた」と、42年間の警察人生を振り返った。
「沿岸で始まり、沿岸で終える」
後藤さんは岩手県沿岸部の大船渡市出身。沿岸部を南北に結ぶ三陸鉄道が開業した1984年4月1日に採用された。
初任地は盛岡警察署(後に盛岡東署と盛岡西署に再編)で、刑事畑は合計で15年、県警察航空隊時代には現在の県警ヘリ「ぎんが」の命名にも携わるなど、さまざまな分野を経験してきた。
最後の1年は久慈警察署の署長を務め、「三陸鉄道の沿線南端の街、大船渡市を出発して警察官となり、警察官として最後の年が沿線最北端の久慈市。感慨もひとしおだ」と語る。
ユーモアで人をつなぐ警察官
そして後藤さんはユーモアあふれる人柄で同僚に親しまれ、マスコミ対応の窓口だった時には記者たちからも愛された、いわゆる名物警察官でもあった。
「大谷翔平選手が投打二刀流なら、私は五刀流(後藤流)」――。得意のジョークを披露しては周囲の笑いを誘っていた。
そのユーモアは仕事にも生かされ、2025年に久慈市の北限の海女と街の安全を守るよろいをかけた「クジアーマー」という署オリジナルのキャラクターを考案。
このアイデアを元に、署の職員がにこやかに微笑む北限の海女のイラストを制作し、クジアーマーは久慈署管内の交通安全・防犯のシンボルとして街の人に親しまれた。
2025年6月、岩手めんこいテレビがクジアーマーを取材するため、久慈署長の後藤さんにインタビューを依頼した際には、「カメラを向けられると緊張します。これが本当の『キンチョーの夏』ですね」と、変わらぬ“後藤節”で受け応えていた。
「最も記憶に残る」東日本大震災
迎えた警察官として最後の日、後藤さんが「警察人生で最も記憶に残っている」と語ったのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災だ。
地元・大船渡市も大きな被害を受けた。
当時は通信指令課に所属していたため「津波によって人や家が流されている」など、凄惨な110番通報に次々と対応した記憶は、忘れることができないという。
最後の1年を沿岸部で過ごした後藤さんは、「震災から15年が経過し、災害の記憶を薄れさせてはいけないと、より強く感じるようになった」と話す。
その上で、「たくさんの人が亡くなり、その中には犠牲となった警察官もいる。この災害の記憶を次の世代の警察官たちにも引き継いでいってほしい」と力を込めて語った。
後輩へ託す言葉“AMPM”
これからも岩手の安全を守り続けていく後輩たちに残したいメッセージは、自身のモットーでもある「明るく・前向きに・ポリスマインドを持って」、略して「AMPM」。
警察官としての矜持をにじませながらも遊び心を忘れない、後藤さんらしい言葉だ。
「AMPM」が息づく久慈署は、3月31日に署の公式X(旧・Twitter)を更新し、クジアーマーのイラスト付きで後藤さんの退職をねぎらっている。
ユーモアを忘れず、しかし現場の厳しさと向き合い続けてきた後藤さん。
岩手の平和を願う“後藤流”の思いは、岩手県警に受け継がれていく。
