2026年夏、福島県南相馬市小高区は大部分の避難指示解除から10年を迎える。町の復興とともに移動販売で魚を届け続けた「走る魚屋」谷地茂一さん。80歳を前に移動販売から店舗中心の営業へ変わる中、常連客への思いと「常磐もの」への誇りを胸に店に立ち続ける今を追った。

町の復興とともに「走る魚屋」

福島県南相馬市小高区で魚屋を営む谷地茂一さん。地元の魚はもちろん、客からの注文があれば少量でも仕入れる「小高の魚屋」だ。その歩みは、町の復興とともにあった。
避難指示解除から10年前、谷地さんはトラックを走らせ、小高区から少し離れた仮設住宅を巡っていた。小高区から避難していた多くの常連客のため、朝から夕方まで走り回って魚を届けていた。

2016年 移動販売で仮設住宅へ
2016年 移動販売で仮設住宅へ
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小高区で3代続く「谷地魚店」。東京電力・福島第一原発から約16キロに位置する店は、立ち入り規制の対象となった。谷地さん自身も店を離れ、仮設住宅での暮らしを長く余儀なくされた。
それでも町の復興を信じ、移動販売を続けながら少しずつ店の再開準備を進めてきた。

10年の月日と変化する営業スタイル

そして2016年7月、小高区の大部分で避難指示が解除されると、それに合わせるように店も再スタートを切った。
当時、谷地さんは「小高で生まれて育った人間として、小高に帰ってきて小高で死にたい。刺身を切りながら包丁ボタッと落としてコタっと死ねればそれでいいかな」と語っていた。

店舗での販売がメインに
店舗での販売がメインに

あれから10年。相棒だった移動販売車は、店の前に止まったままだ。
「移動販売は、気が向いたとき。年に3回くらい。夏の暑さと冬の寒さが体にきくから。あと2年で俺も80ですから」と谷地さんは話す。
小高区の解除から10年、谷地さんも10歳年を重ねた。今は移動販売ではなく、10年前に新しく構えた店舗が主な拠点となっている。週休2日で、営業する5日間で約100人の客が訪れるという。

人口は半減も…客足が絶えない理由

かつての移動販売のお得意様だったという女性客は、隣の相馬市から訪れた。「やっぱり谷地さんは信用ある。新鮮だし。でも南相馬の方に移っちゃったからなかなかね」と話す。谷地さんは「こういうふうに、わざわざ来てくれる」と笑顔を見せる。

店舗には常連や口コミで訪れる客も
店舗には常連や口コミで訪れる客も

現在、小高区の人口は震災前の半数以下だ。すべての住民が小高区に戻ってきたわけではない。それでも、「友達がここの鮭おいしいというので来ました」と、口コミで訪れる新しい客もいる。

誇りは「常磐もの」 定年を前にした葛藤

震災直後に自粛された福島県の沿岸漁業も、約5年前に小規模な水揚げと販売を行う「試験操業」が終了。本格操業に向け、市場に並ぶ福島の魚も増えてきた。
地物の魚に自信を持つ谷地さんは、「獲ってはいけない時期が過ぎて出荷もできるようになったら、本当にここの魚はうまい。こんなこと言うと全国の漁師の皆さんに失礼かもしれないですけど、常磐ものってのはうまいです」と胸を張る。

谷地さんも太鼓判の常磐もの
谷地さんも太鼓判の常磐もの

「定年80歳」と決めて店に立っているという谷地さんだが、葛藤もあるようだ。
「震災の前からずっと今でも来てくれる人に、俺は店を辞めて『ごめんな』ってどっち良いかな…と思ってそこが今の悩み」

“小高の魚屋” 谷地茂一さん
“小高の魚屋” 谷地茂一さん

福島の魚があれば、そこは人々が集まる場所になる。町の復興とともに駆け抜けてきた谷地さんは今、小高の店で「いらっしゃいませ」と「おかえり」の言葉を積み重ねている。

(福島テレビ)

福島テレビ
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