岩手県南部に位置する一関市大東町大原。この町に残る珍しい地名の由来を探った。

最初に向かったのは「雪」とつく地名で、「雪洞(ぼんぼり)」と読む地域だ。
雛飾りの「雪洞(ぼんぼり)」を思い浮かべる人も多いが、実は地名としての由来は別にあるという。

明治時代の資料『岩手県管轄地誌』によると、この地はかつて「雪洞(ぼんぼら)」とも読まれていた。この由来は盆洞(ぼんほら)という漢字から来ているのではないかと考えられている。

長年にわたり岩手県内の地名を調べてきた宍戸敦さんは、次のように説明する。
「この盆洞(ぼんほら)は、くぼ地のことと考えられている。このくぼ地もお盆のようなくぼ地、掘れたような地形を言っているのだと思う。盆洞(ぼんほら)がなまって、最後に『ぼんぼり』となって、ぼんぼりという字に灯りの字を用いたのではないかと考える」

土地の形状を表す言葉が時代とともに音を変え、今の地名として残ったとみられる。

続いて訪ねたのは、大原の町中にある「一六(いちろく)」と呼ばれる地域だ。
一見すると数字だけの不思議な地名だが、その背景には、かつての定期市の存在があった。

宍戸さんによると、江戸時代、大原では「1」と「6」のつく日に市が開かれていたという。

宍戸敦さん
「現在の一六の場所に、当時『一市町(ひといちまち)』と『六日町(むいかまち)』という町があり、かつて市が開かれた。明治期にこの2つが合併し、それぞれの『一』と『六』を取って『一六』という地名になった。現在、一市町と六日町という地名自体は姿を消したが、市日の名残りは自治会名として今も受け継がれ、「一市町内会」「六日町自治会」として今も伝えられている」

一六地区を歩くと、土蔵造りの家屋が点在し、歴史を感じさせる町並みが広がる。
この景観について、大東大原水かけ祭り保存会顧問の金野幸冨さんは、宿場町としての成り立ちを挙げる。

金野幸冨さん
「大原は、沿岸と内陸を結ぶ中間地点にあり宿場町として栄えたと言われている。火災が起きると軒並み燃えてしまうので、火を食い止め大切なものを守る目的で蔵造りの家が多く建てられた。“蔵造りの町”とも言われている」

大原を語るうえで欠かせないのが、「大東大原水かけ祭り」だ。
容赦のない冷水を浴びながら裸の男たちが一気に駆け抜ける。その迫力から”天下の奇祭”として知られている。

その起源について、保存会副会長の門馬功さんは「江戸で起きた大火事『振袖火事』を受け、全国へ出された火防令をきっかけに始まった」と説明する。

その後、火防祈願に加えて無病息災なども祈願されるようになり、現在まで受け継がれている。

門馬功さん
「色々な方々が参加されますが、祭り本番は厄年の男性が主に走る。参加型の祭りで全国各地に募集をかけている。京都・北海道・外国からの参加もしている。(大東地域の)人口が減少しているが、体感参加を通じて情報発信し皆さんに来てもらうことで、交流人口を増やしていきたい」

かつて宿場町としてにぎわった「一六」は、今も祭りの熱気とともに活気を受け継いでいる。

岩手めんこいテレビ
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