東日本大震災の発生から15年を迎えます。仙台放送ではこの間、多くの方にお話を伺いました。継続的に取材をしてきた2人に、私たちの報道について振り返っていただきました。
女川町出身で現在は都内に住む伊藤唯さん、27歳。
3月7日、古里に帰ってきた伊藤さんは、同級生や恩師とともに自らも制作にかかわった石碑の掃除を行いました。
震災で872人が死亡または行方不明となった女川町。町の人口の1割にあたる人が犠牲となりました。
悲劇を繰り返さないために…。立ち上がったのは伊藤さんをはじめ町内の中学生でした。
震災発生から1カ月後に女川第一中学校に入学した生徒たちが考えた「いのちの石碑」。1000年後の命を守るを掲げ、町内21カ所の浜の津波到達地点より高い場所に、石碑を立てるというプロジェクトです。
資金の1000万円も生徒たちが募金で集めるなどし、全国から大きな注目を集めました。
高橋咲良アナウンサー
「これまで経験したことのない数のカメラを向けられて、あの時はどういう気持ちでしたか?」
伊藤唯さん
「戸惑いがあったし、子供ながらに、大勢の知らない大人たちが環境が変わった状況の中に入ってくるというのは、すごく恐怖」
自分の言葉がどういう伝わり方をするのか。伊藤さんは今も怖いと話しますが、それでも、大好きな町が一変したあの日の光景は、子供ながらに伝えなきゃいけないと感じたと言います。
高橋咲良アナウンサー
「どんなことを伝えたいと思っていた?」
伊藤唯さん
「震災直後は子供だったので、素直に自分が夢なんじゃないかと思った、あの日の出来事や光景をそのまま伝えられたらと思ったし、あの日初めて命と向き合ったというか。子供のころは命のこととか、あんまり考えないじゃないですか。だから命のことを考えるきっかけが震災だった」
伊藤さんが暮らしていた地区に建つ石碑。伊藤さんが中学生の時に考えた俳句が刻まれています。
「愛すべき未来のために我が道を」
伊藤唯さん
「今思い返してみると多分真っ暗闇の中でも、未来を見据えていたとすごく思う」
石巻市に住む佐藤敏郎さん(62)です。石巻市立大川小学校で、当時6年生だった次女のみずほさんを亡くしました。
この日は、塩釜市内の中学生にあの日の出来事を伝えました。
佐藤敏郎さんの語り部
「ここに立てば、話聞けば分かるよね。時間もあったんだよ、山もあったんだよ。逃げようって言った先生も子供もいたんだよ。でもそれはね、空飛ぶ絨毯じゃない。行動にそれを変えることができなかったのが悔しいんだよ。その無念さみたいなのもずっと思い続けたい」
大川小学校では、学校にいた児童74人、教職員10人が犠牲となりました。
学校の管理下で起きた未曾有の被害…。石巻市が行った保護者説明会には、県内だけでなく全国から大勢の報道関係者が集まりました。
ほとんどの親が取材を断る中、震災発生直後から佐藤さんは取材に応じてきました。
高橋咲良アナウンサー
「発生直後の取材や、かけられる言葉、どのような印象?」
佐藤敏郎さん
「私のほうで拒絶する気持ちはすごくありました。めでたいことでもないし、悲しいことを語りたくないし、教えるものでもないと思っていた」
しかし報道関係者が悩む姿をみて気持ちに変化があったといいます。
佐藤敏郎さん
「遺族の気持ちをあなたたちは分からないだろうって。分かるはずないんですよ、遺族じゃないんだから。遺族じゃない人の気持ちも俺らには分からない。でも、分かったのは、同じ人はいない。全部違うけれども、そんなに違わないということです。重なる部分は必ずあります。相手のことをもうちょっとずつ思いやっていけば、完璧には重ならなくても、一緒に進んでいく、取り組むことはあるだろうなと」
語り部として活動する中で佐藤さんは取材する記者にお願いすることがあります。
高橋咲良アナウンサー
「センセーショナルな語り部の部分は報道で使わないでくださいって。」
佐藤敏郎さん
「ああ、そうそう。あんまり使ってほしくないな。やっぱりそれが独り歩きするんですよ。例えば子供たちが並べられてましたっていう話はインパクトはあるんですよね。でも俺はその話だけしてるわけじゃないんですよね。でもそこだけ伝わると、遺体の話ばっかりこの人してるのみたいな、印象を受けるんじゃないかなと思うんですよ。私もほかの震災に限らずいろんなニュースなんか見ても、小さな窓をすべてだと思って、見てしまってる自分もいるし。だからといって、あの語り部全部を伝えられないだろうし。私もこの目の前にいる人とその場を共有しながら伝えている言葉ではあるんですよね。それを特にテレビとか新聞のために伝えてる言葉ではないので、それは分かっていただきたいなと思っていて。まあ難しいですよね」
震災遺構として整備された大川小学校。当時の資料などを公開している伝承館には、窓があります。窓からは、子供たちが見つかった最期の場所が見えます。
佐藤さんは、窓から見える景色を、自身の伝える活動に重ねています。
佐藤敏郎さん
「私たちが取り組むこと、あるいはメディアの報道も「窓」ですよね。すべてではない。その窓の外の風景とか部屋の中が、想像できるような、深めていけるようなものになればいいなという意識はあります。簡単ではないですけども」
「未来に向けて、何か意味のあるものにね、あのときあんな出来事があったんだけれども、これが少しでも何か意味のあること未来につながることなのであれば取材する側もされる側も、お互い共同作業というか、学び合うというか。それでより良いものにしていきたいなと思いますよね。」