OHKのカメラが収めた岡山・香川の懐かしの映像で、ふるさとの歴史を振り返ります。今回は1975年(昭和50年)2月24日に倉敷市で撮影された映像です。
1975年2月の倉敷市長選挙で大山茂樹氏が10万票余り獲得し(得票率58.16%)、3回目の当選を果たしました。当選から一夜明け、色紙に「和」の文字をしたため、決意を新たにしていました。
1903年(明治36年)倉敷市出身の大山氏は、1964年(昭和39年)、旧倉敷市の前市長の辞任に伴う市長選挙に、5期務めた岡山県議会議員を辞職して立候補し初当選。任期中に倉敷・玉島・児島の3市合併を実現し、水島臨海工業地帯の発展の礎を築きました。
倉敷市の記録によりますと、1966年(昭和42年)3月に合併後の初代倉敷市長に就任した後は、「三地区の市民の一体感を高める幹線道路の建設」「本格的な新倉敷市の建設計画の推進」「市民の関心が高い減税の実施」「公害の防止と生活環境の整備」といった重点施策を示しました。
3期目には庄村・茶屋町の編入合併の実現、倉敷市民会館などの開設なども手がけました。大山氏は1979年に市長を引退、1995年4月5日に91歳で亡くなりました。同年5月17日には市民葬が行われ、市民らおよそ800人が参列しました。
大山氏は青少年教育に情熱を注ぎ、その功績が認められ、1979年には倉敷市の名誉市民に選ばれています。大山氏は市長在任中から「よい子いっぱいのまち倉敷」を重視し、そのまちづくりを推進するため退任時に2千万円を寄付し、「倉敷市よい子いっぱい基金」が設けられました。
倉敷市では現在も、その運用益などを使い青少年の健全育成を図るための事業が行われています。