小泉進次郎の覚悟「国会では友人はできない」

カテゴリ:国内

  • ワシントンD.C.のシンクタンク戦略国際問題研究所で外交の経験を積んだ1年
  • 進次郎氏の当時の上司、マイケル・グリーン氏にインタビュー
  • 「国会は友達をつくる場所ではない。メディアも官僚も嫌いだ」

いまや「総理にしたい政治家」NO.1の自民党小泉進次郎筆頭副幹事長。
果たして小泉氏は、多くの国民が期待する通り、総理となることができるのか?ここでは、小泉氏のこれまでの「進化」の過程を振り返り、その資質を問うていく。
「進化」の第2ステージは、小泉氏が米国の首都ワシントンD.C.でシンクタンクの研究員として過ごした日々だ。

進次郎の“外交”デビュー

小泉進次郎氏が学んだコロンビア大学院

2006年、コロンビア大学院で修士課程を終えると、小泉氏はシンクタンクで働きたいとワシントンD.C.に居を移した。就職先は、民間シンクタンクのCSIS=戦略国際問題研究所。顧問には元国務長官のヘンリー・キッシンジャー氏も名を連ねている。

私は小泉氏の足跡を追ってワシントンを訪れ、当時の上司だったマイケル・グリーン氏にインタビューした。グリーン氏は米国の代表的な「知日派」として知られている。
グリーン氏によると、小泉氏の第一印象はそれほど芳しいものではなかった。

「初めて進次郎がやってきて自己紹介したとき、本当にごく普通の学生という感じでした。英語は上手だったのですが、ちょっとラフな学生言葉でしたしね。ですから最初に会ったときは、大丈夫かなあと思いました」

マイケル・グリーン氏

しかし、グリーン氏の心配は杞憂に終わった。その後わずか数週間で、小泉氏の英語力や着こなしは洗練されたという。その理由は、当時CSISの重要案件であった、日本とインドによる戦略的グローバル・パートナーシップに向けた日米印の対話に携わったためだ。
CSISは月に1回以上会合を開き、そこで小泉氏は巧みな外交力を発揮したという。

「その会合に参加したインドのメンバーは、『彼はチャーミングで興味深い』と進次郎をとても気に入りました。インドの国民はガンジー一族のような政治的な門閥が大好きで、日本の総理の息子である進次郎にとても魅力を感じたのだと思います。」

進次郎は時間をかけて上り詰める

そして2007年、次のステージに進むため小泉氏は帰国した。
アメリカでの暮らしは3年となっていた。小泉氏は当時の気持ちをオフィシャルサイトの中でこう述懐する。
「もちろん3年で世界はわからないけれど、自分の中で戻るタイミングだと感じた。アメリカで学んだことを持ち帰って、そろそろ走りだす時だ、と」。

グリーン氏は小泉氏との交流をいまも続けている。

「いま世論調査では次の総理候補に石破氏と進次郎の名前が挙がりますが、彼は人気やメディアの注目にとても注意深い。39歳で大統領に就任したフランスのエマニュエル・マクロンのようにチャンスを生かせと言われていますが、進次郎はステップ・バイ・ステップで、時間をじっくりかけて上り詰めるだろうと私は思います。閣僚に選ばれるのであれば、官房長官はちょっと早いですが、外務大臣でしたら、彼ならすぐにでもできるでしょうね(笑)」

小泉氏の「外交力」を間近で見てきたグリーン氏ならではの予言だろう。

「メディアも官僚も嫌い」

コロンビア大学院時代の学友 辻清人衆議院議員と

コロンビア大学院で学友だった辻清人衆議院議員(東京2区・当選3回)も、小泉氏と同じ時期にCSISでインターンをしていた。
「進次郎は父子家庭、自分は母子家庭で育ったので気が合いましたね。彼は“寂しさ”を知っていたので、人の気持ちがわかると思います。父親が総裁選に何回もチャレンジする姿を見てきて、嫉妬の怖さも知っていました」

ワシントンではよくビリヤードに興じたり、分厚いステーキをほおばったりして遊んだという。若き日の小泉氏は、さまざまな話をした。
「『議員同士のなれ合いはしない。国会では友人はできない』と言っていました。『国会は友達をつくる場所じゃない』とも」

辻氏によると、小泉氏はこんなことも言っていたという。
「『メディアは嫌い。火のないところに煙を立てる』と言っていました。また、『官僚も嫌い』だと」

次回は、帰国した小泉氏が大逆風の中、初の選挙に臨む姿を紹介する。(連載-3-へ続く)


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筆者:フジテレビ 解説委員 鈴木款
早稲田大学卒。農林中央金庫で外為ディーラーなどを経て、フジテレビに入社。営業局、「報道2001」ディレクター、NY支局長、経済部長を経て現職。著書「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」(扶桑社新書)


小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉 (扶桑社新書)