――オウムによる犯行であるとした一番の根拠は何ですか?
「元巡査長については関与したことが濃厚と表現したが、元巡査長の所持品から拳銃発射時に生じる射撃残渣物が発見されたこと。オウム真理教が警察組織を敵対視している背景があって、教団幹部に『警察官にしかできないことがある』と言われ、元巡査長が『できません』と逡巡している部分の供述がとれていることなどから判断しました」

記者から異論出ず

事前レクは、警視庁が設定した公表解禁日まで記者が外部に漏らさない「オフレコ」を約束した場である。これまでの捜査で積み上げた証拠により犯人特定に至らなかったとするならば、発表内容そのものに疑義を差し挟んで良い場だった。

しかし筆者を含む各社の公安部担当記者の中で、この発表はおかしい、考え直すべきだと声を表だって上げた者は1人もいなかった。

時効成立を受けて会見する警視庁の青木五郎公安部長(当時)(2010年3月)
時効成立を受けて会見する警視庁の青木五郎公安部長(当時)(2010年3月)

血反吐を吐くような思いをしてきた警視庁が、こうした通常あり得ない発表に至ることは、捨て身で何かの礎になろうとしている風でもあった。その警視庁の前例のない覚悟を前に、時効の時だけの取材をスポットで任されたような記者たちに異を唱える勇気はなかったのである。

最後の1分1秒まで

事件発生当初から捜査本部に入り、今や公安一課長として特捜本部を仕切る殿(しんがり)となった栢木國廣は、3月29日の午前7時半、千代田区麹町の官舎から出勤のため出てきたところを筆者を含む複数の記者に囲まれた。

――おはようございます!最後の1日になりましたね。
「責任を感じています」

X元巡査長と連絡を取り合っていた井上嘉浩元死刑囚
X元巡査長と連絡を取り合っていた井上嘉浩元死刑囚

――しかし、なぜ早川らオウム信者は他の事件については話しておきながら、この事件についてだけ話さなかったんでしょうか?
「最初は破壊活動防止法の適用を免れようと必死だったと思う。しかし今となっては、彼らは警察という権力に対抗しきったんだという自負を持っているんでしょう。この事件は今後そういう意味を持たせていきたいんでしょう。早川(早川紀代秀元死刑囚)は心の中で麻原の側にまだいる。井上は麻原の側にはいないから彼の供述は信用できる。きょうまだ一日あるから全力で最後の1分1秒までやっていきますよ」

早川紀代秀元死刑囚と麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚
早川紀代秀元死刑囚と麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚

皇居お堀端の桜はもう満開だった。筆者が栢木を朝駆けしたのはこれが最後となる。半蔵門から桜田門への坂道を足早に下る栢木の背中に花吹雪が舞いかかっていた。まるで雨の様に見えた。

時効成立

30日午前0時、警察庁長官銃撃事件は殺人未遂罪での公訴時効が成立した。

筆者は都心を離れたある街の駅前で捜査員を待っていた。郊外でも終電は午前1時近い。時効成立後ではあるが、15年の捜査がどこまで迫れたのか興味は尽きない。待ち構えていた捜査員が改札口に現れた。口角が下がっていて、への字口になっている。疲れ切っていた。

「お疲れさま。終わったね。今日は疲れているから」。こう言われてしまうと二の句が継げない。私は捜査員に少しついて行く格好になったが、かける言葉が見つからなかった。すると捜査員はきびすを返して「そうだ、これお土産」と言って、私の上着のポケットにぐっと手を突っ込んで何かを入れた。捜査員はそのまま夜の帳に消えていった。

オウム信者「〇✕メモ」

捜査員の背中を見つめながらポケットをまさぐると、メモ紙だった。何かの表に見えた。縦軸にオウム教団のメンバーの名前が羅列されている。横軸の上には数字が並び、その下に「〇✕」が記されている。この表の真の意味を理解するのに、その後さらに15年かかるとは思いも寄らなかった。

【秘録】警察庁長官銃撃事件49に続く
【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】

1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。

上法玄
上法玄

フジテレビ解説委員。
ワシントン特派員、警視庁キャップを歴任。警視庁、警察庁など警察を通算14年担当。その他、宮内庁、厚生労働省、政治部デスク、防衛省を担当し、皇室、新型インフルエンザ感染拡大や医療問題、東日本大震災、安全保障問題を取材。 2011年から2015年までワシントン特派員。米大統領選、議会、国務省、国防総省を取材。