13代にわたり伊達家の政治を支えた家臣の子孫が、伊達政宗の外交戦略の核心に迫る貴重な資料を仙台市博物館に寄贈しました。その資料から浮かび上がる政宗の思いとは…。
栗原市高清水。
石母田晃さん(81)
「伊達政宗は天下統一するために、慶長遣欧使節を送ったのだと思う」
石母田晃さんは、1200年代、伊達家とともに、東北に移り住んだ、「石母田家」の17代目。
「石母田家」は、長年にわたり、伊達家の家臣として、深く政治に関わっていました。
石母田晃さん(81)
「伊達家の家臣の二十四人衆。伊達政宗がここにいて、石母田家4代目の宗頼がこの人です。家老としてはトップだった」
伊達政宗と時を共にした石母田家4代目の宗頼は、政宗の名を受けて、「慶長遣欧使節」を計画した一人だと言われています。
「慶長遣欧使節」は、およそ400年前、政宗が、仙台領内でのキリスト教の布教を
認めることと引き換えにスペイン領の植民地との貿易を求めて、スペイン国王、ローマ教皇のもとに派遣した外交使節。
しかし、派遣された支倉常長が、スペイン国王と交渉するも、結果的には正式な外交、貿易協定は結べす、「派遣は失敗だった」というのが、通説とされています。
石母田晃さん(81)
「父が宝物ということでしまっていたのだと思う」
この通説の裏で、当時、政宗が思い描いた、外交をめぐる「壮大な計画」を明らかにする資料が、石母田家に眠っていました。
石母田晃さん(81)
「政宗さんが外交を400年も前に行った事実。書物が残っていることを知ってもらえればいい」
資料は去年、青葉区の仙台市博物館に寄贈されました。
「慶長十八年元和二年南蛮へ之御案文」。
「慶長遣欧使節」がスペイン国王やローマ教皇、メキシコ副王などに届けた政宗の文書案10通です。
この資料から浮かび上がってくるのは、「政宗の賢さ」だと専門家は指摘します。
仙台市博物館学芸員 佐々木徹さん
「『二段構えの外交戦略』が浮かび上がってきました」
『二段構えの外交戦略』。
具体的には、スペイン国王に「毎年、宣教師を派遣してほしい」と伝えていました。
それと同時に、メキシコ副王には「使節3人のうち、2人はメキシコに、1人はスペインに派遣したい」と伝えていたのです。
仙台市博物館学芸員 佐々木徹さん
「スペインとの正式な外交・貿易協定を結ぶのは中・長期的な戦略。目の前の貿易の機会などをとらえて、南蛮貿易を進めて貿易品や宣教師を仙台藩に持ち込むという短期的な戦略」
政宗の外交戦略により、実際にメキシコとの貿易は実現。
「失敗」とされてきた使節の派遣は、「一部、成功していた」と解釈できると佐々木さんは指摘します。
仙台市博物館学芸員 佐々木徹さん
「先を見据えて海外との外交を模索した点ではかなり稀有な大名だったと思います」
資料を寄贈した石母田晃さんが通う場所があります。
先祖の墓です。
石母田家は13代目の時に廃藩置県が行われるまで、伊達家の政治を支え続けました。
この場所は伊達家の家臣として、紡いできた歴史を感じることができる場所です。
石母田晃さん(81)
「先祖がこうやって残してくれたものを私が生きている間はちゃんと拝んでいきたい」
『どう仙台藩を守り、どう発展させようとしたのか…』。
石母田家が守り続けた文書は、当時の政宗の思いを現代に伝える貴重な資料となっています。