宮城県気仙沼市に、パラスポーツを通じて自らの殻を破り、大きな夢へと走り出した一人の少女がいる。
「あなた『にも』、そして私『にも』」。そんな願いが込められた総合型地域スポーツクラブ「nimo(ニモ)」を舞台に、車いすバスケットボールに情熱を注ぐ中学2年生、小野寺凛さんの挑戦を追った。

パリの衝撃が「できない」を「できる」に変えた

小野寺凛さん
小野寺凛さん
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気仙沼市内の公民館。そこではボッチャを楽しむ高齢者や、車いすバスケに興じる健常者の小学生たちの姿がある。障がいの有無や年齢を超えてスポーツに親しむこの場所で、小野寺凛さんは2024年の秋から車いすバスケを始めた。

凛さんは先天性の病気により、両脚を動かすことができない。さらに治療の影響で、車いすバスケを始める前まで運動を制限されていた。そんな中、彼女の心を捉えたのが…

小野寺凛さん:
2024年のパリパラリンピックがきっかけです。
健常者のバスケみたいなスピード、自分で走ったり、自分でシュートを決めたりするのが、かっこいいなと思いました。

三浦秀幸さん
三浦秀幸さん

指導にあたるのは、クラブの代表であり、かつて日本選手権11連覇という金字塔を打ち立てた「宮城MAX」の元メンバー、三浦秀幸さんだ。指導を受け始めて1年2カ月。三浦さんは、凛さんの技術以上に「心の成長」を頼もしく感じている。

三浦秀幸さん:
プレーも積極的になって、前は静かに練習していたんですけれど、今はシュートが入ると大声で喜んだりとか、悔しがったりとか。
1年2カ月やってきて、凛さんらしさが出てきているかなと思います。

橋が繋いだ可能性と、学校生活のいま

凛さんの日常は、バスケットコートの外でも挑戦の連続だ。学校では体育以外の授業をすべて他の生徒と共に受けている。

同級生は「いつも明るいから、楽しいし、面白いです」と彼女を慕う。彼女がバスケを始めたことを知った際も、「めっちゃすごいと思いました」と素直な驚きを口にした。

送迎は母・真由美さんが行う
送迎は母・真由美さんが行う

校舎内での移動には、昇降機や先生の助けが必要だ。そして登下校を支えるのは、母・真由美さんの送迎である。

凛さんの自宅は気仙沼市の離島、大島地区にある。かつては船が唯一の交通手段。2019年に「気仙沼大島大橋」が開通したことも、今となっては彼女の活動を大きく後押ししている。

母・小野寺真由美さん:
(橋の存在は)大きいですよね。船の時間を気にしなくてよくなったっていうのが一番。三浦さんも来てくれるし、昔だったら考えられない、本当に。

作文に綴った「爆発し続ける熱量」

気仙沼周辺では、車いすバスケの競技人口はまだ少ない。そのため、練習は地道な基礎練習の繰り返しとなり、試合形式での実戦経験を積むのは容易ではない。それでも凛さんは飽きることなく、タイヤを焦がすような音を立ててコートを駆け抜ける。

そんな彼女の決意が、一つの形となった。中学生対象の作文コンクールで、宮城県1位となる優秀賞を受賞したのだ。
テーマは「わたしのチャレンジ」。そこには、スポーツを通じて得た「自己の変革」が綴られていた。

車いすバスケは、自分にとってただのスポーツではありません。『できない』と決めつけていた自分に、『できるかもしれない!』と思わせてくれたものです。障がいがあっても、自分の力で動いて戦って、夢を持つことができる世界。その存在に出会えたことが、私の人生を大きく変えてくれました。

最終目標は「パラリンピック」

2026年、凛さんの視線はさらに先を見据えている。1年前の自分を「下手だったな」と笑い飛ばせるほど、今の練習を積み重ねたい。
その先にある大きな目標を、彼女ははっきりと口にした。

小野寺凛さん:
パラリンピックです。

作文の結びには、彼女の今の思いを“熱量”に例えて、こう表現されている。

私の熱量は、車椅子のタイヤの音とともに、いつも全力で爆発し続けています。支えてくれる人に恩返しができる日まで。

彼女が放つ熱量は、コートを飛び出し、周囲の人々の心さえも動かし始めている。

仙台放送
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