シリーズでお伝えしている年末回顧。11月、日本で初めて開催された聴覚障害者のスポーツの国際大会・デフリンピックを振り返ります。
バドミントン団体で見事、金メダルを獲得した片山結愛選手(21)に12月23日、岡山市のOHKのスタジオでお話をうかがいました。
◆デフバドミントン団体で金 片山結愛選手にとって「金メダル」の重みは
・・・おめでとうございます
(片山結愛選手)
「ありがとうございます」
Q:片山選手にはスタジオに金メダルを持ってきていただきました。金メダルの重みはいかがですか?
「今までの国際大会の中で一番重いメダルになっています」
・・・いろんな思いもこもっている金メダルですからね。
「はい」
そんな片山選手のデフリンピックでの活躍を振り返ります。
◆急造ペアで出場も…混合ダブルス予選リーグ敗退で認めた「自分の弱さ」に発奮
日本で初めて開催された東京デフリンピック。79の国と地域から約2800人の選手が出場し、12日間にわたって熱戦が繰り広げられました。
(片山結愛選手)
「金メダルを目指して頑張る」
香川県綾川町出身、岡山市のノートルダム清心女子大学に通う片山結愛選手はバドミントンの混合ダブルスと団体戦に出場しました。
混合ダブルスでは、開幕1カ月半前に当初ペアを組んでいた選手がケガで出場を辞退。急造ペアで臨み、健闘したものの、無念の予選リーグ敗退となります。
(片山結愛選手)
「自分の弱さが見えてしまったので、今まで応援してくださった皆さんのためにも次は団体戦で金メダルを獲得できるように頑張っていきたい」
◆団体では予選リーグ3試合ストレート勝ち 決勝は出番を待ちながらの声援で「金メダル」獲得に貢献
リベンジに燃えて挑んだ団体戦。団体戦は、男女のシングルスとダブルス、混合ダブルスの5試合で争います。片山選手は、予選リーグ初戦は女子ダブルス、予選リーグ2戦目と決勝トーナメント1回戦は混合ダブルスで出場し全て2対0で勝利。勝ち上がりに貢献しました。
迎えた強豪・中国との決勝。5試合目の混合ダブルスにエントリーされた片山選手は、自分の出番を待つ間、スタンドから声援を送ります。
日本は1試合目の男子ダブルスを落としましたが、続く2試合を連取しそのまま4試合目の女子シングルスでも勝利。団体初優勝で悲願の金メダル獲得となりました。
◆片山選手の祖父・健治さんも地元・綾川町のパブリックビューイングに「信じられない」と興奮
片山選手の地元・綾川町ではパブリックビューイングが行われ、最後の一戦まで片山選手に熱い声援を送りました。
(綾川町 前田武俊町長)
「綾川町も元気になる。元気を与えてくれてありがとうと言いたい」
(片山選手の祖父 片山健治さん)
「最高。信じられないことはないが、信じられない」
◆SNSでの激励メッセージなどが力に…会場を埋める観客の中での試合は「一生の思い出となる大会」に
Q:金メダルを目指して挑んだ混合ダブルスでは予選敗退となりましたが、そこから5日後に団体戦が始まりました。どのように気持ちを切り替えたのでしょうか
(片山結愛選手)
「たくさんのSNSでのメッセージだったり、仲間たちの温かい言葉を受けて、団体戦に切り替えることができました」
・・・皆さんのやっぱりメッセージが力になったんですね
「はい」
・・・いかに応援が力になったかっていうのがよくわかりますよね。本当に地元盛り上がりましたしね。団体戦では日本の勝ち上がりに大きく貢献しました。初めてのデフリンピックは片山選手にとってどんな大会になりましたか
「東京オリンピックと同じ会場で、ほぼ満員の観客のもとでプレーできて、私にとって一生の思い出となる大会となりました」
◆”共生社会の実現”目指したデフリンピック 応援方法を学んだ観客も…「全く聞こえない状況」の選手には伝わっていた
(佐藤理子アナウンサー)
デフリンピックの大会ビジョンの一つが”共生社会の実現”です。12日間の大会を通じて競技会場を訪れた人は約28万人。さらに、選手との交流拠点となった東京都渋谷区のデフリンピックスクエアには約5万人が訪れました。応援が力になったというお話もありましたが、競技中はその応援をどのように感じましたか?
「私たちは競技中は人工内耳と補聴器を外しての「全く聞こえない状況」でのプレーなんですけど、観客の皆さまがタオルやうちわで見えるような応援をしていただいて、見ることはないんですけど、観客から何か感じるものがありました」
・・・応援を肌で感じていたんですね。
大会は大成功に終わりましたが、この盛り上がりを一過性のものにせず、大会が終わっても多様性を尊重し、誰もが暮らしやすい社会の実現を目指していくことが求められています。
郷土勢としてデフリンピックに出場した2人の選手に聞きました。
◆普段は口話でコミュニケーション・石本龍一朗選手「ろう者、難聴者、健聴者に限らず国際交流ってすごく楽しい」
陸上男子400メートルハードルで8位入賞を果たした岡山大学3年の石本龍一朗選手(20)。普段は口話でコミュニケーションを取っていますが、デフリンピックではどのように会話したのでしょうか。
Q:手話は覚えて行ったのですか
(岡山大学3年 石本龍一朗選手)
「(手話は)全く覚えていってなくて、自己紹介と400メートルハードルだけ覚えていった。身振り手振りや英語、スマホの文字変換を使ってコミュニケーションを取った」
Q:色んなツールを使ってコミュニケーションを取ってみてどうでしたか
(石本龍一朗選手)
「ろう者、難聴者、健聴者に限らず、国際交流ってすごく楽しいなと思った」
◆「店員が手話で「お箸いりますか」と…」陸上男子走り高跳び・佐藤秀祐選手が日常生活で感じた変化
陸上男子走り高跳びで5位入賞を果たした、岡山市出身で平林金属所属の佐藤秀祐選手(21)は大会終了後、日常生活で変化があったといいます。
(平林金属 佐藤秀祐選手)
「店員が手話で「ありがとうございます」や「お箸いりますか」などはっきり言ってもらえて、手話も広がっているし聴覚障害への理解も広がっていると思います」
◆「知る」の次は自分からの「話しかけ」 陸上2選手が考える「共生社会の実現に必要なこと」
共生社会の実現に向けて今後、何が求められるのか、2人に聞きました。
(石本龍一朗選手)
「「知る」というのが第一歩だと思うので、「知る」という点ではだいぶ広がったのではないかと思います。話しかけて、その人が「僕はこうしてほしい」「私はこうしてほしい」など人それぞれだと思うので、まずはコミュニケーションを取ってみるというのが一番いい方法でありベストだと思う」
(佐藤秀祐選手)
「自分が手話を使っていくことと、初対面の人にもまずは自分が聞こえないと伝えることが大切だと思う。障害の有無に関係なく共生できる社会になればといいと思う」
◆片山結愛選手が経験したデフリンピック開催の「前」と「後」 まわりの反応は…
Q:デフリンピックが開催される前と比べて変わったと思うことはありますか
(片山結愛選手)
「友達が手話についてちょっと興味を持ってくれたり、あとはトレーニングジムでその地域の方々が「何の選手?」って聞かれた時にデフバドミントン、デフリンピックって言ったら「ああ、デフリンピックね」みたいな感じの、知ってる反応をもらえることが以前と比べて多くなったような気がします」
Q:友達同士でも手話をする機会っていうのはあったんですか?
「はい、そうです。最近だとその静かな環境の時に友達に「ありがとう」と伝えたくて、遠くにいた時に手話で「ありがとう」って友達に言ったら(親指を立てるしぐさ)みたいな感じで」
・・・リアクションももらえたんですね。
◆片山選手が見据える4年後…アテネ開催デフリンピックでは「個人戦でも金メダル」
Q:お話を伺って、社会全体で今回の東京デフリンピックが変わるきっかけになったんじゃないかと思ったんですけれども、改めて片山選手が東京デフリンピックの選手として、今後社会がどのように変わってほしいという思いがありますか?
「聞こえる聞こえないに関わらず、お互いが歩み寄って、温かい気持ちで相手のことを考えられるような社会になっていければいいかなと思っています」
Q:最後に今後の目標を教えていただけますか。
「私の次の目標は、2029年にギリシャのアテネでデフリンピックの開催が決まっているので、次は個人戦でも金メダル獲得ができるように頑張っていきたいと思っています」